大河内(おうこうち)小学校は、かつて熊本県球磨郡山江村にあった、村立小学校です。
大河内集落
山江村は、村制が施行された1889年(明治22年)に、山田村と万江村が合併してできた村です。
山田村の「山」と万江村の「江」をとって、山江村となりました。
現在も単独の自治体として、存続しています。
大河内集落へ行くには、万江の谷を万江川沿いに、ひたすらさかのぼります。
八代市との境界にそびえる山の手前に、大河内の集落があります。
九州自動車道肥後トンネル
集落が一変したのは、九州自動車道の建設工事でした。
九州自動車道の八代〜人吉間のルートは、万江谷に沿って計画されます。
大河内集落の少し下流にある、水無出口という集落から、九州自動車道の肥後トンネルが建設されました。
肥後トンネルまでは、県道17号線は全線2車線に改良されています。
地元の方のお話
運よく、地元の方とお話ができました。
もし、誰とも会わなかったら、小学校跡すら見つけることができませんでした。
小学校にはピーク時は、100人前後の小学生がいて、運動会もにぎわっていたそうです。
小学校のある所より上流にも、たくさんの人が住んでいたといいます。
八代へ抜ける道は険しく、峠まで行ったことがないとのことでした。
人吉へはちょうど20㎞あるそうです。
道が良くなったのは、高速道路の工事がはじまってからだと教えていただきました。
以前は、人吉へ下る道も、大型車が通行できない、馬車道の幅しかなかったそうです。
歩いて人吉まで行ったら、1泊しないと、ここまで帰り着きそうにありません。
買い物はどうなさっているのか聞くと、村が乗り合いタクシーを出してくれるのだそうです。
校内
廃校となったのは、1988年(昭和63年)ですが、現在も木造校舎が残されていました。
大河内集落の公民館として使用され、維持管理され続けているためです。
校舎横の神社は、万江川沿いにあったのですが、洪水で川岸が崩れたため、学校敷地に移されたのだそうです。
廃校となる以前から、校舎の横にあったわけではないと話されていました。
校庭は広くはありませんが、運動会をするには十分な広さだと思いました。
閉校して30年以上経過しています。
一部の建物は、さすがに年数を重ねている感じがします。
しかし、主建物は閉校時の校舎なのに・・・
補修しながら使用され続けているようです。
スチール製の標柱には、何か書いてあった形跡がありましたが、もはや読めませんでした。
国交省のテレメーターは、閉校後に置かれたものだと思います。
沿革
1892年(明治25年) | 屋形尋常小学校大川内分教場として創立 |
1929年(昭和4年) | 屋形尋常高等小学校大川内分教場へ改称 |
1941年(昭和16年) | 屋形国民学校大川内分教場へ改称 |
1947年(昭和22年) | 山江村立屋形小学校大川内分校へ改称 |
1963年(昭和38年) | 屋形小学校より独立、山江村立大川内小学校となる |
1988年(昭和63年) | 大川内小学校、屋形小学校、城内小学校、山田小学校尾寄崎分校が統合し万江小学校となり、廃校 |
場所 熊本県球磨郡山江村万江
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