久多良木神社 百済来地区の氏神さま
久多良木神社(きゅうたらぎじんじゃ)は、熊本県八代市坂本町百済来下にある神社です。ご祭神を見ますと阿蘇神社系の神様のようです。おそらく、百済来地区の 開拓の神様として、勧請されたのだと思います。境内の森は、「久多良木神社の森」と名付けられています。
久多良木神社(きゅうたらぎじんじゃ)は、熊本県八代市坂本町百済来下にある神社です。ご祭神を見ますと阿蘇神社系の神様のようです。おそらく、百済来地区の 開拓の神様として、勧請されたのだと思います。境内の森は、「久多良木神社の森」と名付けられています。
多良木高等学校は、熊本県球磨郡多良木町にあった県立高校です。熊本県教育委員会では、球磨郡の県立高校3校を、統合再編し2校とすることで検討していました。2014年(平成26年)に、多良木高校の学科を、別の2校移し閉校する方針を公表しました。
中谷小学校は、かつて八代市坂本町中谷にあった公立小学校です。2003年(平成15年)に、坂本村内の7小学校が、八竜小学校へ統合されたため、中谷小学校は廃校となっていいます。学校施設は、そのまま八代市さかもと少年センターとして利用されています。
「舅(姑)落とし」とはまた物騒な名まえのスポットです。その昔、このあたりで道と言えば、岩盤の断崖絶壁に細々と続く歩道と、対岸に渡された幅の細い橋だけでした。嫁いびりをする意地悪な姑が、嫁を突き落とそうとすると、足を滑らせて自分が落ちてしまいました。
清正公というのは、肥後熊本藩の初代藩主「加藤清正」のことです。人吉藩攻略のため南下した加藤清正は、やっとのことで、この岩山を越え眺めた先には、延々と険しい山々と球磨川の激流が続いています。あまりの険しさに「この岩より先は相良にくれる」と言い残し、熊本へ引き返したそうです。
海路(かいじ)小学校は、熊本県葦北郡芦北町にある町立小学校です。廃校ではありません、休校中です。周辺の道路の幅員から考えてバス送迎は難しいので、保護者の方が、自家用車で吉尾小学校あたりまで送迎しているのだと思います。せめて、対岸の国道を使えたら便利なのにと思います。
熊本県球磨郡球磨村の「球泉洞」といえば、少しは知られているスポットだと思います。球泉洞を運営する球磨村森林組合が、球泉洞の前に併設したのが「森林館」でした。特徴的な建物ですが、2012年(平成24年)に浸水被害を受けた後、休館しています。
新幹線を見たいなら、駅に行くというのが普通の発想です。確かにホームから見れば、間近で見れます。しかし、スピードに乗った新幹線は、全線が高架上なので、あまり近くで見ることはできません。ところが、通過する新幹線を間近で見るスポットが八代市にありました。
鮎帰発電所は、十条製紙坂本工場の発電所でした。坂本工場が操業を停止する1988年(昭和63年)まで、現役の発電所として稼働していました。なんと、その竣工は1909年(明治42年)までさかのぼります。近くに行けば、近所の住居と明らかに風貌がちがいますので、すぐそれとわかると思います。
高沢小学校は、かつて熊本県球磨郡球磨村神瀬にあった村立小学校です。谷あいの集落ということで、 長い歴史の間には、洪水や土砂崩れの被害に遭っています。一時期は、中学校も併設されていました。球磨村公民館高沢分館として改築されています。
球磨村のキャッチフレーズは、「急流と鍾乳洞の里」です。その名の通り、複数の鍾乳洞がありますが、今回はマイナースポット「高沢鍾乳洞」の記事になります。鍾乳洞は複雑で、三層構造をしているといい、もっと奥深い横穴は430mに及ぶといいます。
高沢観音は、熊本県球磨郡球磨村神瀬の高沢地区にある観音さまです。高沢地区へ行くには、一勝地の役場の横から登ります。しばらく進むと、山間に集落が開けています。高沢地区は、相良藩政下では、 信仰が禁止された一向宗を守り続けた地でした。