「舅(姑)落とし」とはまた物騒な名まえのスポットです。
やはりその昔、ここら辺は球磨川沿いの道でも難所であったことがうかがえます。
由来
その昔、このあたりで道と言えば、岩盤の断崖絶壁に細々と続く歩道と、対岸に渡された幅の細い橋だけでした。
嫁いびりをする意地悪な姑が、ある日この断崖から嫁を突き落とそうとしたところ、足を滑らせて自分が落ちてしまったというものです。
昔話で、何代にもわたり伝えられた話なので、実話かどうか今となっては確かめようがありません。
もし本当の話であったら、現在まで語り継がれるとは、当人たちも夢にも思わなかったでしょう。
標柱には「舅(姑)落とし」と標記されています。
舅さんだったのか、姑さんだったのか?
標柱の裏側を読むと、姑さんだったようです。
交通の難所
場所は、清正公岩と、告川と球磨川の合流点のあたりになります。
今でこそ鉄道も通っていますし、車でも通れる広さがあります。
しかし、岩のごつごつした山肌を見れば、昔は断崖に申し訳程度に開いた、細道だったことが想像できます。
江戸時代までは、姑落とし岩から対岸に、長さ約50mの土橋がかかっていたといいます。
事故で崖から落ちる人もいたでしょう。
球磨川もここまで下ると、支流がいくつも合流し水量も多いです。
名まえの由来は、人吉街道でも難所のひとつであったという意味もあるのだと思います。
球磨川によって制限された人々の往来
ここから先、八代市までの18㎞ほどは、球磨川の東岸は球磨郡、西岸は葦北郡です。
告川が、球磨村と芦北町の境界です。
今のようにしっかりした橋がなかった時代は、球磨川を挟んで行き来するのも簡単ではなかったと思います。
清正公岩の記事はコチラです。↓