清正公岩 歴戦の強者も引返す難所

清正公岩(せいしょうこういわ)というのは、昔の人吉街道、現在の県道304号線にある大きな岩山です。

ちょうど、球磨郡と葦北郡の境界近く、葦北郡芦北町の告地区にあたります。

清正公

清正公というのは、肥後熊本藩の初代藩主「加藤清正」のことです。

加藤清正は、安土桃山時代から江戸時代にかけての戦国武将で、熊本では現代でも「清正公さん」と呼ばれています。

加藤清正は、豊臣秀吉の家臣で各地を転戦し、武勲をあげています。

その活躍が認められて、肥後国を与えられたのでした。

清正公の人吉侵攻計画

加藤清正が与えられたのは、肥後国(現在の熊本県)の北半国と豊後国(現在の大分県)の一部でした。

当時、肥後国の南東の小藩であった、人吉藩を手中に収めようと考えました。

清正公岩

人吉藩攻略のため南下した加藤清正は、球磨川沿いのこの難所にさしかかりました。

やっとのことで、岩山を越え眺めた先には、延々と険しい山々と球磨川の激流が続いています。

あまりの天険に「この岩より先は相良にくれる」と言い残し、熊本へ引き返したそうです。

それ以来、この岩山を「清正公岩」とよぶようになったといいます。

車道は岩を迂回して作られていました。

現在は、岩の中央にトンネルが掘られています。

場所 熊本県芦北郡葦北町告