紫波州崎(しばすざき)城址は、宮崎市の城山(じょうやま)公園として整備されています。
主郭のあった場所には、宮崎仏舎利塔が建てられています。
宮崎仏舎利塔
1972 年(昭和47年)に建てられた仏舎利塔があるのは、おそらく紫波州崎城の本丸があった場所です。
壁面には石材をねじ止めしてある、ぜいたくな造りの仏舎利塔です。
裏にある鉄塔は、NHK と MRTの青島中継局です。
城山公園
城山(じょうやま)公園には、主郭址を整備した展望広場が設置されています。
木製の展望所からは、白浜海水浴場や白浜キャンプ場が見えました。
手前の草や木がジャマですが、サンクマールも見えます。
さらに奥には、UMKの青島中継局の鉄塔があり、展望台として開放されています。
上に登ると宮崎市街を見渡せます。
そして、青島が見えます。
東側は日向灘、太平洋です。
展望台
主郭跡である展望広場とは別にある、展望台へ行ってみます。
奥へ進むとつきあたりに木製の展望台があります。
しかし、周囲の草木が伸びて展望は利きません。
しかも360°見えるのは植物だけです。
園内の遊歩道には、数体の仏像が見られます。
おそらく、西側からも山道で登れる道があったのでしょうが、落石と倒木で立入禁止となっています。
それだけ、急な傾斜があり、敵を寄せ付けない天然の要塞だったわけです。
遊歩道沿いには、石垣に使われていたと思われる城の痕跡がゴロゴロしています。
伊東氏と島津氏の所領争い
紫波州崎城は、1394年~1428年に長井氏が築城した中世城です。
伊東氏領となってからは、川崎五郎左衛門の居城でした。
1480年には、島津氏側の武将が攻め取りましたが、伊東氏が奪還しています。
1577年に、島津氏の攻勢で伊東氏が豊後(現在の大分県)に逃れた後は、島津氏の家老・上井薫兼(うわいくんけん)が城主となります。
さらに1587年、豊臣秀吉が九州統一を果たすと、再び伊東氏の所領となっています。
1615年、徳川幕府の一国一城令により廃城となりました。
武士の霊がさまよう
中世から戦国時代にかけて、伊東氏と島津氏の間で領有をめぐる攻防が行われてきました。
紫波州崎城は、何度もその戦禍に巻き込まれています。
城の攻防では、そのたびに多くの戦死者がでています。
そのためか紫波州崎城址には、武士の霊がさまよっているといわれています。
城を攻め落とされるときは女性たちも自決したといわれ、女性の霊も目撃されています。
惨殺事件現場?
ネット上には、紫波州崎城近くの民家で、強盗が押し入り一家を惨殺したといううわさがあります。
また、強盗ではなく、家主の父による一家心中との記述も見られます。
道中には、確かに一軒だけ民家らしきものがありますが、住宅ではなくお寺です。
事件後、お寺に改築されたのかもしれませんが、憶測の域を出ません。
いずれにしても現在所有者の方は、ここに住んでいる形跡はありません。
なお、住居の扉や壁に血しぶき見えたという話もあります。
さらには、夜に行くとお経と木魚の音が聞こえてくるという話も見られます。
まとめ
紫波州崎城址の近くには、有名な観光地である青島があります。
入口の白浜キャンプ場も多くの利用者がいます。
しかし、アクセス道路が狭いのもあり、城山公園まで登る人は多くありません。
昼間でも訪れる人が少ないのも関係し、心霊スポットとうわさされています。
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