全国的には、同名の駅が複数あるようです。
この記事でいう白石(しろいし)駅は、JR肥薩線の白石駅です。
肥薩線開業当時のままの姿を残しています。
駅舎
1908年(明治41年)開設された駅になります。
駅舎は、ほぼ当時のまま使われています。
国鉄民営化前である、1986年(昭和61年)には無人化されていました。
駅は、熊本県芦北町にあるのですが、球磨川対岸は球磨村になります。
球磨村の神瀬地区の方の最寄り駅となるため、かつては比較的利用客の多かった駅です。
駅舎や待合室といい、現場窓口から改札口まで、典型的な国鉄時代のローカル線の駅という感じがします。
回りの道路や建物は、時代とともに変わっていったのに、白石駅だけは時間が止まってしまっていたような、不思議な感じがします。
昔、放映されていた、国鉄労組のコマーシャルの駅、そのもののような感じです。
日本国有鉄道
白石駅を見て思い出したのが、国鉄の分割民営化でした。
公社といえども、時代に合わせて変わらなければ、生き残れないのが企業です。
道路が整備され、自動車が普及したところで、地方の鉄道の役割は、終わっていたのかもしれません。
当時、新設したローカル線は赤字路線ばかりで、それでもなおローカル線を作り続けていました。
同時に、高速道路や車道を、自動車のために全国的に整備していました。
政治的思惑と、時代背景を考えると、企業としての独自の意思決定ができない国鉄が、赤字を止めることはできなかったでしょう。
まして、晩年の国鉄の執行部に、できる決定的改善策は、ほぼなかったのではないかと思います。
民営化後、JR各社は、国鉄の負債を整理するために、大変な企業努力をしてきたはずです。
もちろん国民負担もありましたし、巨額の損失を出した債権者もいたことでしょう。
政治家が、国民のためにと思ってやってきたことが、国民に多大な迷惑となって返ってきました。
そんな政治家を選択した、有権者の責任もあります。
過激な活動をしてきた、労組幹部にも責任はあると思います。
肥薩線
JR九州が、現在も輸送密度の低い肥薩線を残しているのは、何かメリットがあるからでしょう。
減少していく地元利用者よりも、将来性のある観光利用者にスポットを当てるのは、当然と思います。
結果的に路線が残れば、地元の人にも利用機会は残りますし、鉄道遺構資産としても、現役のまま残すことができます。
しかし、沿線の住民や自治体が廃止に反対したところで、収支的に持続可能なプランがない限りは、残す理由がないと思います。
公共交通機関といえども、存続か廃止かの決定権は、運営会社にあります。
いまや公社ではなく、株式会社なので、 赤字のまま放っておくはずがありません。
存続のため、我々個人ができることは、移動手段として路線を利用し、運賃を払うことくらいしか思いつきません。
場所 熊本県球磨郡芦北町白石