荒茂山勝福寺(しょうふくじ)跡にある毘沙門天像は、文字通り「勝って福をなす」戦いの神様です。
荒茂毘沙門堂とよぶこともあります。
勝福寺
勝福寺は古い歴史と由緒のあるお寺です。
勝福寺を草創したのは、かつてこの地の領主であった須恵氏なのか、その後の地頭平河氏なのか、学説が分かれるところでした。
2004年(平成16年)、熊本県立美術館による調査で、仁王像の内部に墨書がみつかりました。
その墨書により、1156年(久寿(きゅうじゅ)3年)の作品であることがわかりました。
これにより、勝福寺は須恵氏の菩薩寺であったことがわかりました。
しかも墨書から、須恵氏出身の藤原家永が藤原氏の災いをなくし、福寿を増長する目的で仁王像を安置したこともわかっています。
毘沙門堂
毘沙門堂は勝福寺の仁王門を移転・改造したものです。
毘沙門堂のあるところには、勝福寺の金堂へと続く南門で仁王門のあったところです。
1889年(明治22年)、勝福寺金堂は老朽化により取り壊されています。
その際、仁王門を毘沙門堂に改造しています。
そして、金堂にあったご本尊を毘沙門堂に移しました。
これが、現在の勝福寺毘沙門堂です。
毘沙門堂の天井に近い壁には、ムカデを描いた板が埋め込まれています。
ご本尊の頭上の壁をよく見ると見えるそうです。
これは、かつて仁王門の通行口の天井画であったものといわれています。
ムカデは「毘沙門天の使い」とされています。
毘沙門天像
毘沙門堂にはご本尊の毘沙門天像を含め計8体の像が安置されています。
毘沙門天像は、前項のとおり1156年、平安時代に作られたものです。
像高は県内最大の243cmとなります。
戦いの神様で人々に勝利をもたらすと伝えられます。
選挙の際にお参りする政治家もいるといいます。
受験や試合や選挙など、すべての勝負ごとにご利益があるとされています。
2つの金剛力士像は鎌倉時代の作品です。
このほか、毘沙門天像2体、天部形像、観音菩薩像、吉祥天像が毘沙門堂に安置されます。
8体ともに熊本県指定の重要文化財になります。
2015年(平成27年)日本遺産人吉球磨の構成文化財の19番となりました。