高沢鍾乳洞 縄文人の住家

球磨村のキャッチフレーズは、「急流と鍾乳洞の里」です。

その名の通り、複数の鍾乳洞がありますが、今回はマイナースポット「高沢鍾乳洞」の記事になります。

高沢鍾乳洞

球磨村では、大瀬地区の「球泉洞」や神瀬地区の「神瀬石灰洞窟」は、有名な鍾乳洞スポットです。

しかし、高沢地区にも鍾乳洞があると聞き、様子をみてきました。

場所は、球磨村公民館高沢分館の入り口のところです。

聞いたことがなかったので、あまりメジャーなスポットではないと思います。

球磨村公民館高沢分館は、2004年(平成16年)に一勝地小学校に統合されるまでは、高沢小学校でした。

1934年(昭和9)、小学校の運動場拡張工事を行ったときに、鍾乳洞が発見されました。

高沢鍾乳洞の構造

鍾乳洞は複雑で、三層構造をしているといいます。

1975年(昭和50年)の調査では、もっと奥深い横穴は430mに及ぶといいます。

下層は正面から下った水流に沿っています。

中層はフローストーンが発達していて、発見当時から、居住空間と思えるような小部屋に分かれていたそうです。

フローストーンというのは、鍾乳洞の壁や床面を覆うことがある、シート状で流れるような模様がある石のことです。

上層は傾斜がきついうえ複雑で、150mほどの深さがあるといいます。

高沢鍾乳洞発見時の調査

洞内は発見当時に調査が行われています。

土器、石器、貝殻、獣骨、灰炭、台石などが発見されています。

土器は縄文中期のものと考えられています。

石器は石灰岩製の石斧だそうです。

貝殻はハマグリ・ウバガヒ・アワビなどのもので、獣骨は鹿の骨が最も多く、折られた形状から食用としたものと考えられています。

灰炭や台石は調理用のものです。

縄文時代に鍾乳洞の中に人が住んでいたいうことですね。

現状

残念ながら、柵がされ鍵がかかっています。

現在は中に入ることはできないようです。

洞口からのぞいてみましたが、洞内をうかがい知ることはできませんでした。

場所 熊本県球磨郡球磨村神瀬

関連記事

高沢小学校

高沢観音堂