田代分校は、かつて鹿児島県田代町 (現在の錦江町)にあった、南大隅高等学校の分校です。
運動場は太陽光発電所となり姿を変えていますが、 往時をしのぶ学校遺構が残されています。
木造校舎
田代分校の跡地を訪ねると、木造校舎が残っていることに驚きます。
おそらく、田代高等学校として独立を前に、1952年 (昭和27年)に建てられたものです。
1987年 (昭和62年)に閉校してから、長い年月が過ぎています。
にもかかわらず、木造校舎が残されているのは奇跡的です。
閉校後
閉校後は全部または一部を、民間会社が工場として使っています。
おそらく、木造校舎が現存しているのは、閉校後も使われ、管理されていたからでしょう。
国道沿いの看板には、「高級皮ハンドバック製造やよい商会田代工場」と書かれています。
グーグルマップで見ると、「鹿児島コスモス」と表示されます。
木製網戸はなつかしい限りですが、空調の室外機は現代のものであり、現在も使われていることがわかります。
とはいえ校舎本体は植物に覆われつつあり、日常の出入りがあるようには見えません。
一時は本校へ
MBCアーカイブス あの日のふるさと
根占高等学校の分校としてスタートした田代分校ですが、1954年 (昭和29年)には、田代高等学校として独立しています。
MBCアーカイブス あの日のふるさと
ピーク時には250名を超える学生を擁していました。
1970年 (昭和45年)には、再び南大隅高等学校の田代分校となっています。
体育館
体育館前には円形の植栽が、そのまま残ります。
体育館の玄関から、内部を見ることができそうです。
地域行事で使う備品が保管されています。
閉校記念碑
閉校記念碑が国道に向かって建てられています。
刻まれた銘文は 「あらせ」、 前を流れる麓川(ふもとがわ) の荒瀬を表しているのでしょう。
閉校記念碑のとなりの仏像は、田代分校よりもさらに古い時代のものです。
1869年(明治2年)まで、現在の高校敷地にあった妙浄山寳光寺のものになります。
この地が、田代分校開校以前から田代郷の文教の中心地だったことがわかります。
沿革
1948年(昭和23年) | 鹿児島県立根古高等学校田代教場として創立 |
1950年(昭和25年) | 鹿児島県立根古高等学校田代分校へ昇格 |
1954年 (昭和29年) | 鹿児島県立田代高等学校として独立 |
1970年 (昭和45年) | 鹿児島県立南大隅高等学校田代分校となる |
1985年(昭和60年) | 生徒募集停止 |
1987年 (昭和62年) | 閉校 |
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