槻木小学校 限界集落の挑戦

槻木(つきぎ)小学校は、熊本県球磨郡多良木町大字槻木にある町立小学校です。

この学校の面白いところは、休校中の学校を地域活性化のため再開させ点です。

槻木地区

槻木地区というのは、熊本県の南東端の集落です。

多良木町の役場まで、車で峠を越えて約30分ほどかかります。

集落の人口は百数十名です。

問題なのは高齢化率が8割で、子育て世代がいないことでした。

町による槻木活性化策

町では、この限界集落を活性化させるため、雇用を創出し移住者を呼び込もうとしました。

まずは、集落支援員を公募し小学校を再開、介護施設を作り雇用を生み出す計画でした。

2007年(平成19年)休校していた、槻木小学校は、2014年(平成26年)に再開します。

当初は、地域再生のモデルケースとして注目を集めました。

しかし、2017年(平成29年)、選挙で町長が変わります。

町全体で人口減少と高齢化、少子化が進む中、一地区だけを特別視するのに疑問を持つ町民もいました。

集落支援員は、槻木を後にせざるを得なくなってしまいました。

こうして、槻木小学校は再び休校となっていましました。

槻木小学校

休校中の学校です。

つい最近まで生徒のいた学校なので、現役の小学校と何も変わりません。

校舎は鉄筋コンクリート2階建てです。

体育館は別棟になっています。

そして、プールは槻木川を利用した河川プールです。

槻木の味処まなびや

2007年(平成19年)から休校した際、校舎の活用が検討されました。

2008年(平成20年)から、ランチルームはレストランとして活用されていました。

「槻木の味処まなびや」という、予約制のレストランでした。

また、槻木診療所として、週2回の診療にも使われています。

2014年(平成26年)の学校再開後は、レストランは学校給食を請け負っていました。

2017年(平成29年)再休校後は、 総菜加工所兼食事処として活用されています。

沿革

1879年(明治12年)堂山(どうやま)小学校として創立
1892年(明治25年)槻木尋常小学校として独立
1907年(明治40年)槻木尋常小学校へ改称
1927年(昭和2年)下槻木分教場を設置
1932年(昭和7年)槻木尋常高等小学校へ改称
1941年(昭和16年)槻木国民学校へ改称
1947年(昭和22年)久米村立槻木小学校へ改称
1955年(昭和30年)多良木町立槻木小学校へ改称
1965年(昭和40年)下槻木分校が独立
2006年(平成18年)下槻木小学校を統合
2007年(平成19年)休校
2014年(平成26年)再開校
2017年(平成29年)休校

場所  熊本県球磨郡多良木町大字槻木713-1

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