津森神宮は、熊本県上益城郡益城町にある神社です。
境内は、熊本空港南西部に位置する神域となっています。
ご祭神
神武天皇・・・わが国の初代天皇です。
540年、当時の国司、藤原法昌の前に、神武天皇のご霊体が現われました。
神武天皇の神勅により創建されたと伝わります。
このとき、一帯は海の津(船着き場)でしたが、みるみるうちに森となったと伝わります。
津森という地名は、この伝説にちなむものです。
楼門のある神社
楼門は、もともとは仏教寺院の山門として建てられていた建造物です。
神仏習合の時代を経て、神社でも見られます。
ただし、多くの神社は楼門を持ちません。
津森神社のように立派な楼門を持つ神社は少数派です。
現在の楼門は、1881年(明治14年)、西南戦争後に建てられたものです。
津森神宮のシンボル的建造物です。
七五三の石段
参道の石段は、社殿から「七段→五段→三段」という順番で組まれています。
この石段を登った子供は、病気をせずすくすく育つといわれています。
楼門の前にあるのは、旧鳥居の土石台と額石です。
1991年(平成3年)の台風で倒壊するまで、数百年もの間たち続けていた鳥居のものです。
ご神木
津森神社には樹齢500年を超える大木が、森となっています。
社殿前の2本の銀杏の間を、男女で手をつないで通ると、いつまでも幸せに過ごせるといわれています。
銀杏の大木には、夜泣き貝が住んでいます。
この貝を一対(2個)、赤ん坊の枕の下に置くと、夜泣きしなくなるといわれています。
夜泣きがとまったら、願解きとして貝を戻さないとご利益がなくなるとされています。
社殿
拝殿
主祭神をまつる拝殿です。
拝殿でお参りした後は、右回りに境内を周ります。
本殿
主祭神のご神体が収まる本殿です。
福島の滝桜
東 の滝桜 とは、日本大震災復興のシンボルである、福島県三春町のしだれ桜です。
東末社
東末社のご祭神は、3柱です。
天照皇大神(あまてらすおおのかみ) | 開運・勝負運 |
倉稲魂命(うがのみたまのみこと) | 農耕・商工 |
十一面観音(じゅういちめんかんのん) | 無病息災・財福 |
神輿殿
神輿殿には、毎年10月30日に行われる、「お法使(ほし)祭り」で使われる、神輿が展示されています。
荒っぽく扱われるため、毎年修理をしています。
水神さま
本殿裏の湧水池には、弥都波能売神(みずはのめのかみ)がまつられます。
水神さまの社は、人吉市にある球磨工業高校の伝統建築コースが造営したものです。
神さまの避難所
本殿の裏山には、防空壕が掘られています。
大戦中に、空襲からご神体を守るため設けられたものです。
西末社
西末社は、願かけの社です。
ご際神は8柱です。
高産日神(たかみむすびのかみ) |
神産日神(かみむすびのかみ) |
魂留産霊神(たまつめむすびのかみ) |
生産霊神(いくむすびのかみ) |
足産霊神(たるむすびのかみ) |
大宮売神(おおみやのめのかみ) |
事代主神(ことしろぬしのかみ) |
御膳神(みつけかみ) |
お法使祭り
お法使(ほし)祭りというのは、津森神宮の例祭です。
天宇受売命(あめのうずめのみこと)は、猿田彦命(さるたひこのみこと)の案内で、この地に降臨しました。
以来、津森神宮周辺の12地区を1年毎に巡礼するようになりました。
そのため、天宇受売命 (あめのうずめのみこと) はご神体を持たず、毎年仮屋住まいとなっています。
一方、津森神宮では国司の藤原法昌が、大祭が滞りなく行わるように天皇の使いを参詣させていました。
この使者を、魔除けの力を持つ使者「お法使(ほし)」という最高の敬称を付け迎えていました。
お法使は、津森神宮の大祭の翌日、周辺の12地区を巡行していました。
津森神宮の創祀以来続いた2つの伝統が、13世紀半ばに定着し、お法使祭りとなっています。
いまや、町を越えて行わる大祭となっています。
次の地区の仮屋へ移動する際は、ご神体は神輿で移動します。
神輿には、ご神体が乗っているはずなのに、どういうわけか神輿を田畑に投げ込む風習となっています。
12地区
御船町・・・5地区
平田上・平田下・田原・小谷・杉堂
西原町・・・3地区
瓜生迫・(秋田・土林)・(星田・門出・田中)
菊陽町・・・4地区
戸次・馬場備・曲手・辛川
関連記事
【関連記事】浮島神社 池に浮かぶ夫婦神と弱ペダ聖地自転車お守り
【関連記事】肥後国神名帳令和版 熊本の神社を一覧表にしてわかったこと