渡(わたり) 小学校は、熊本県球磨村の公立小学校です。
令和2年7月豪雨で被災した校舎の解体が決まっています。
令和2年7月豪雨
令和2年7月豪雨で、熊本県南部は未曽有の大災害に見舞われました。
水系に線状降水帯が発生した球磨川は、一気に大増水しました。
READY FOR / 熊本県球磨村渡小学校 ピアノ復興プロジェクト
なかでも特に被害が大きかったのが球磨村です。
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渡小学校では校舎の1階の天井を越える高さまで浸水、体育館は濁流が床を持ち上げました。
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運動場には大量の土砂と立木が流れついています。
渡小学校のとなりにあった特別養護老人ホーム千寿園では、入所者 14名が亡くなっています。
学校再編
渡小学校は、令和2年7月豪雨で被災後、現地を離れ一勝地小学校の運動場に建てられた仮校舎で授業を継続していました。
2021年(令和3年)からは、球磨中学校の敷地内の仮校舎に移転しています。
球磨村には現在、一勝地小学校・渡小学校・一勝地中学校、3つの村立学校があります。
2024年 (令和6年)に3校を閉校、小中一貫の義務教育学校の新設が決まっています。
渡小学校は閉校を前にして、校舎の解体が決まっています。
解体寸前の渡小学校
水害から2年半が経ちましたが、周辺は復旧工事のトラックが行き交います。
まだ、被災前の落ち着きを取戻すには、数年かかりそうです。
しかし、周辺の住宅や事業所の建物の解体が進んでいるので、元の姿に戻ることはありません。
渡小学校は解体工事前にもかかわらず、校内は立入禁止になっていました。
敷地外から見た感じでも、災害の跡が残っているのがみてとれます。
2023年 (令和5年)3月には、解体工事がはじまり6月には終わります。
沿革
1874年 (明治7年) | 小川学校として創立 |
1879年(明治12年) | 中園分教場・立野分教場を設置 |
1909年 (明治42年) | 中園分教場が中園尋常小学校として独立 |
1910年(明治43年) | 内布分教場設置 |
1915年(大正4年) | 渡尋常高等小学校へ改称 |
1935年(昭和10年) | 現在地へ移転 |
1941年(昭和16年) | 渡東国民学校へ改称 |
1947年(昭和22年) | 渡村立渡東小学校へ改称 |
1954年(昭和29年) | 球磨村立渡東小学校へ改称 |
1961年(昭和36年) | 球磨村立渡小学校へ改称 |
2004年(平成 16 年) | 内布分校・立野分校を統合 |
2010年(平成22年) | 球磨村立一勝地第二小学校の一部と同校俣口分校を統合 |
2020年(令和2年) | 令和2年7月豪雨で被災 球磨村立一勝地小学校運動場の仮設校舍へ移転 |
2021年(令和3年) | 球磨村立球磨中学校敷地内の新仮設校舍へ移転 |
2023年(令和5年) | 被災した校舎を解体 |
2024年(令和6年) | 村内3校を統合し小中一貫校新設・閉校 |