俣口分校は、かつて熊本県球磨郡球磨村大字一勝地の俣口地区にあった、一勝地第二小学校の分校です。
俣口地区
俣口へ行くには、那良口から那良川をひたすらさかのぼります。
球磨村は、林業の村だけあって、谷ごとに集落があります。
那良口から、俣口分校まで8㎞ほど山の中へ分け入ります。
しかし、さらに上流には遠原(とおばら)という集落があるというから驚きです。
車などない方が、地方の人口は維持できたのかもしれません。
校舎
とても立派な校舎が残されています。
下層に教室、上層に体育館を配置した1棟完結タイプの建物です。
現在は、俣口地区の公民館として利用されています。
校内
校門にある閉校記念碑です。
土台には閉校日を刻んだ石札が埋め込まれています。
校門の標柱と、百周年記念碑です。
表札も石札です。
百周年記念碑の土台には、俣口分校の百年沿革が刻まれています。
プールです。先の建物は学校施設ではなく、消防団の詰所です。
プールの更衣室は、校庭内の端にあります。
校庭から見た校舎です。
高さがあるので大きく見えます。
校庭です。
玄関です。
沿革
1882年(明治15年) | 柳詰(やなづめ)小学校俣口分教場として創立 |
1894年(明治27年) | 柳詰尋常小学校俣口分教場へ改称 |
1896年(明治29年) | 一勝地尋常小学校俣口分教場へ改称 |
1904年(明治37年) | 一勝地尋常高等小学校俣口分教場へ改称 |
1930年(昭和5年) | 松谷尋常高等小学校俣口分教場へ改称 |
1941年(昭和16年) | 松谷国民学校俣口分教場へ改称 |
1947年(昭和22年) | 一勝地村立松谷小学校俣口分校へ改称 |
1954年(昭和29年) | 球磨村立一勝地第二小学校俣口分校へ改称 |
2001年(平成13年) | 休校 |
2010年(平成22年) | 渡小学校へ統合 |
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