山上八幡神社は「やまのうえはちまんじんじゃ」と読みます。
相良義陽が戦国時代に滅ぼした上村氏を供養するために、安土桃山時代に建立された神社です。
歴史
1557年上村城主、上村頼孝らは宗家相良家第18代義陽のに対し反乱を企てました。
「上村氏の陰謀」と言われる事件です。
この反乱に際し、上村氏は皆越(みなごえ)の地頭である阿部氏に味方するよう依頼しました。
しかし、阿部氏は承諾しませんでした。
1557年、相良義陽の反乱鎮圧により、上村氏は滅亡することになります。
上村氏は見方をしなかった阿部氏を恨み、怨霊となりたたりを起こしたといわれています。
1570年、阿部氏は上村氏のたたりを鎮めるために、支配する皆越の地に山上八幡神社を建立しました。
その7年後の1557年、藩主相良義陽は、自らの夢想により、皆越から久木原の地に山上八幡宮を遷座させたといいます。
久木原というのは、現在山上八幡宮のあるところから、800mくらい南(皆越)方向に行ったところにあります。
祀られていたのは上村頼孝、上村頼孝、上村長蔵そして谷水薬師の僧侶勢ばんです。
近代 日本遺産人吉球磨
1991年(平成3年)、台風で神殿が大破しました。
山上八幡神社は、当時すでに中世の木造建築として価値は評価されていました。
ところが、どこからも文化財指定を受けておらず、すぐには修理されずにいました。
1995年(平成7年)、当時の上村より有形文化財の指定を受けたことで、ようやく再建のための調査が進みはじめました。
2006年(平成18年)から4年をかけて、球磨工業高校の建築家専攻生が神殿を解体復元しました。
学生が修復したといいますが侮るなかれ、球磨工業高校は日本で唯一、宮大工養成科がある学校なのです。
2015年(平成27)には日本遺産人吉球磨の21番構成文化財となっています。
狩所
狩所というのは、山上八幡神社があるところの地名です。
昔、相良藩主が狩猟を行う時に、狩人たちが勢ぞろいした場所であり、それが地名の由来となったという説があります。
江戸時代の記録には、雨乞いの祈願の行事が特別重視されており、狩所の高台に仮の祭壇を設けて雨乞い祈願を行った記録があるそうです。
この場所には老松が枝を張り、風光明媚な場所であったといいます。
彼岸の中日には毎年相撲が行われ、茶店が並びにぎわっていたそうです。
狩所のベニタブ
現在、この地に老松はありません。
しかし、山上八幡神社の境内には大きく枝を張ったタブの木があります。
タブの木は暖かい地域で育ちます。
タブの木の中でも、木材の材質が赤いものをベニタブ、淡色のものをシロタブと区別することがあります。
木材として利用する場合、ベニタブの方が高級材となります。
ベニタブはかなり巨木です。
樹齢は数百年といわれています。
山上八幡神社は皆越地区の入り口のところにあります。皆越鬼子母神へはここから登れます。
白髪神社や武家屋敷それから谷水薬師や麓城からも近いので、ご訪問の際はセットでどうぞ。