矢岳駅はJR九州肥薩線の駅です。
矢岳越えに最も近く、肥薩線の中では最も標高の高い約537mの場所にある駅になります。
矢岳駅の歴史
矢岳駅の開設は1909年(明治42年)肥薩線、人吉~吉松間開業と同時になります。
元々駅周辺の集落は、大川間というところでした。
駅近くに矢岳第一トンネルがあることから、駅名は矢岳駅となりました。
後に町名も矢岳町となりました。
開業当初はへき地で、利用が少ないことが心配されていました。
しかし、駅の開設により木材や木炭の積み出しや開拓者の入植で、木材業者や運送業者が集まるようになりました。
1949年(昭和24年)にはそれまで分校であった小学校が、矢岳小学校として独立し本校になるほどでした。
山間部にある鉄道駅であり、他の沿線駅以上に過疎化は速く進みます。
2003年(平成15年)矢岳小学校は休校となり、ついには2014年(平成26年)人吉西小学校へ統合されています。
SL展示館
1972年(昭和47年)には矢岳駅構内に「SL展示館」が開設されています。
当初は蒸気機関車「D51 170」と「58654(8620型)」が並んで展示されていました。
1988年(昭和63年)「58654」が現役復帰することになります。
この車両が現在「SL人吉」として運行しています。
現在、SL展示館には 「D51 170」 1両のみが展示されています。
南九州近代化産業遺産群
2007年(平成19年)経済産業省が選定した近代産業化遺産のうち、南九州近代化産業遺産群に、矢岳駅自体が物資輸送関連遺産とひとつとなっています。
矢岳第一トンネル
矢岳駅をしばらく南側(宮崎県側)へ進むと踏み切りがあります。
このあたりが熊本県と宮崎県の県境となっています。
踏切のさらに宮崎県側に矢岳第一トンネルがあります。
1900年代初頭に建設されたトンネルです、このトンネルに限らず、人吉~吉松間は大変な難工事を極め、多数の犠牲者を出しました。
観光列車「いさぶろう しんぺい」の由来となったのが、肥薩線開業当時の逓信大臣山縣伊三郎と、鉄道院総裁であった後藤新平です。
矢岳第一トンネルの矢岳駅側の扁額「天険若実」(てんけんじゃくい)の文字は 山縣伊三郎 の筆、吉松駅側の「引重至遠」(いんじゅうちえん)は 後藤新平 の筆となります。
「天険若実」(てんけんじゃくい) とは、天下の険しい難所を平地のようにしたという意味です。
「引重至遠」(いんじゅうちえん) とは、重いものを引いて遠くへ至ることができるという意味です。
どちらも、人吉~吉松間の難工事を労うためのものです。
ホテル星岳・月岳
駅正面の高台に、矢岳駅の駅長官舎として残っていた建物を改装し、ホテルとして営業しています。
1909年(明治42年)肥薩線人吉~吉松間開業当時に建てられたもので、かつてはこのあたりに20戸の駅員官舎が立ち並んでいたといいます。
2019年(令和元年)駅長官舎は、古民家一棟貸しのホテルとして蘇りました。
クラッシックレールウェイ人吉球磨といって、肥薩線の人吉駅〜矢岳駅間を廊下と見立てて、3駅の再生した施設を使います。
利用者は人吉駅でチェックイン、夕食は大畑駅のレストランを利用し、宿泊は矢岳駅のホテル、移動は列車でという形態になっています。