寄田小学校は、かつて薩摩川内市寄田町にあった市立小学校です。
寄田町は川内駅から南西へ約16km離れていて、自然豊かなところです。
高江村寄田
薩摩川内市寄田町は、薩摩半島の西岸に位置します。
海岸線は、いちき串木野市以南の砂丘地帯とは打って変わって、リアス式海岸です。
山が迫っているため、棚田によって農地が広げられています。
寄田小学校の校区は、自然環境に恵まれた場所でした。
漢字表記から「よりた」と読みます。
明治中期ごろまでは「よした」とよんでいた地区で、住民は今でも昔のよびかたを使うこともあります。
校内
鹿児島県道 43 号川内串木野線から寄田小学校の正門へは、坂道を上ります。
ピークには300名をこえる生徒が通っていました。
しかし、2000年代になると全校生徒は、10名程度で横ばいで推移していました。
石造門柱の笠が重厚です。
10名程度の生徒で使うには、広々とした敷地です。
りっぱな閉校記念碑が建てられています。
閉校記念碑の基礎部分には、校歌の碑が埋め込まれています。
体育館から見た校舎です。
1980年(昭和55年)の卒業記念作品、この年の卒業生は現在50歳をこえています。
先の卒業記念作品の前から見た校舎です。
校庭には、樹勢の良い大きな木がありました。
校庭の木から見た体育館です。
校庭の木の奥には、宇宙の絵が描かれた建造物がありました。
創立百十周年記念に、新校舎を落成しています。
こちらの校歌の碑には、4コーラス目だけが彫られています。
校庭の端には、さらに歴史を感じさせる石碑があります。
校舎の上部に書いてある字は「よく考え 思いやりのある 元気な 寄田っ子」です。
いったん敷地外へ出て裏へ回りました。
こっちは裏門です。
門柱の表札には、いい感じで植物が絡んでいます。
校内に戻りました。
校舎から見た運動場と体育館です。
校舎の玄関です。
校門に戻ってきました。
沿革
1880年(明治13年) | 寄田小学校創立 |
1885年(明治18年) | 寄田簡易小学校へ改称 |
1892年(明治25年) | 寄田尋常小学校へ改称 |
1902年(明治35年) | 現在地へ移転 |
1941年(昭和16年) | 寄田国民学校へ改称 |
1947年(昭和22年) | 高江村立寄田小学校へ改称 |
1956年(昭和31年) | 川内市立寄田小学校へ改称 |
2004年(平成16年) | 薩摩川内市立寄田小学校へ改称 |
2012年(平成24年) | 薩摩川内市立水引小学校へ統合 閉校 |
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