陽成(ようぜい)小学校は、かつて薩摩川内市陽成町にあった公立小学校です。
シンボルツリーはセンダンの木になります。
センダンの木
陽成小学校の校庭の大木はセンダンです。
東アジアの温暖な地域でみられる落葉広葉樹です。
日本では伊豆半島以西で見られます。
平安時代から江戸時代にかけては、打ち首となった罪人の首をセンダンの木に架ける風習がありました。
そのため、あまり印象のいい木ではなかったようです。
しかし、成長が早く枝が太く四方に広がるため、日よけとしては機能性には優れています。
明治時代以降は、公園や街路樹に植えられるようになっています。
陽成町
陽成小学校の校区は、現在の薩摩川内市陽成町です。
かつては陽成との地名は使われておらず、小学校の名称が地名の由来となっています。
薩摩藩時代は、高城郷(たきごう)の麦之裏村といっていました。
1889年(明治22年)の町村制施行時に、高城郷の区域がそのまま高城村になっています。
高城村には5つの大字がありました。
- 麓
- 城上
- 麦之浦
- 湯田
- 西方
1959年(昭和34年)に町政を施行し、高城町になっています。
1965年(昭和40年)に川内市(現在の薩摩川内市)と合併したのですが、このとき大字名を、麦之尾から陽成町へ変えています。
旧高城町の行政の中心地
藩政時代は麓が行政の中心でしたが、町村制施行時に役場が置かれたのが麦之尾でした。
明治以降麦之尾は、高城村の行政の中心となります。
高城町役場は、合併により川内市となってからも、市役所の高城支所として残されていました。
のちに廃止され、現在は陽成地区コミュニティセンターとなっています。
沿革
1880年(明治12年) | 山下小学校 柊原(くいびら)小学校 松平小学校 創立 |
1890年(明治22年) | 柊原小学校と松平小学校を統合 |
1893年(明治25年) | 山下小学校と柊原小学校を統合 陽成尋常高等小学校となる |
1941年(昭和16年) | 陽成国民学校へ改称 |
1947 年 (昭和22年) | 高城村立陽成小学校へ改称 |
1959年(昭和34年) | 川内市立陽成小学校へ改称 |
1965年(昭和40年) | 薩摩川内市立陽成小学校へ改称 |
2018年(平成30年 ) | 薩摩川内市立高来小学校へ統合 閉校 |
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