境橋は、 鹿児島県出水市と熊本県水俣市の県境にかかる橋です。
橋ができたのは、 廃藩置県後1883年 (明治16年) のことになります。
薩摩街道
街道というのは、 各国の大名が参勤交代で江戸へ向かうため整備された幹線道路です。
薩摩藩主が、 九州西岸を北上するルートを薩摩街道の出水筋といいます。
現在は国道3号線が同じ役割を果たしています。
国境
境橋は薩摩街道にかけられた橋ですが、 その名の通り薩摩藩と肥後藩の国境でした。
流れる川は境川といって、国境を隔てています。
藩政時代、国境には関所や番所が置かれ、 人の移動は厳しく制限されています。
旅をするにも商売するにも、通行手形 (現在でいうパスポート) が必要です。
許可なく越境すると脱藩とみなされ、 その場で処刑されていました。
国境に橋があると、かんたんに脱藩ができます。
そのため、薩摩街道の境川にはあえて橋がかけられませんでした。
怪現象
実は橋がなくとも脱藩は繰り返され、 現行犯で斬殺される事件は珍しくなかったといいます。
逆に、相手国からの侵入者も同様に処罰の対象であり、 川原は処刑場でした。
廃藩置県後は、自由に行き来できるようになりましたが、両岸は他県のままです。
橋が架けられたのは、明治維新から16年後でした。
境橋ができたあとは、 川沿いに道路が整備され鹿児島本線の鉄橋がかかりました。
この地が処刑場であったことなど、 忘れ去られています。
ところが、 境川で遊ぶ人たちの間で怪現象がおきるようになります。
- 水中で何者かに足をつかまれた
- 突然水位が上昇しおぼれかけた
- 川が赤く染まり水面から首のないものたちが現われた
以来地元では、境川で遊ぶことは禁忌とされているといいます。
現在の県境
境橋の少し下流には、国道3号線の境川橋がかかっています。
現在主道となっているのは、実は2代目です。
現在は主に歩道として使われている、1代目境川橋が平行してかかっています。
道路改良で拡幅するさい、2代目の境川橋をかけたものです。
今も昔も、橋のど真ん中が境目です。
しかし、監視する役人などおらず、自由に行き来できるのが変わった点です。
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