永峰観音堂 願いをかなえ民衆を救う如意輪観音
永峰観音は、相良三十三観音霊場の21番札所です。 ご本尊は如意輪観音立像で、相良三十三観音唯一の如意輪観音となります。願いを叶え、悩み多き民衆を救う観音さまです。また、安産にもご利益があるといわれています。
永峰観音は、相良三十三観音霊場の21番札所です。 ご本尊は如意輪観音立像で、相良三十三観音唯一の如意輪観音となります。願いを叶え、悩み多き民衆を救う観音さまです。また、安産にもご利益があるといわれています。
植深田観音は、相良三十三観音霊場20番札所です。本来の参道は、観音堂正面の石段です。しかし、石段は崖のような急斜面に作られています。そのうえ石段が摩耗していて危険なため、現在は通行禁止となっています。観音堂には西側(石段に向って左側)から迂回して入るようになっています。
荒茂山勝福寺跡にある毘沙門天像は、文字通り「勝って福をなす」戦いの神様です。荒茂毘沙門堂とよぶこともあります。戦いの神様で人々に勝利をもたらすと伝えられます。受験や試合や選挙など、すべての勝負ごとにご利益があるとされています。
土屋観音堂は相良三十三観音霊場の31番札所となります。一乗寺は江戸時代が終わるまで続きましたが、明治維新後廃寺となりました。寺院には観音堂と古塔碑が残りました。これが現在の土屋観音堂です。鎌倉時代の聖観音菩薩坐像と平安時代の地蔵菩薩立像が安置されています。
最初に人吉球磨地域に入国したのは多良木荘の相良頼影であり、もともとの相良家の宗家(そうけ・本家)は多良木相良家でした。相良氏が最初に当地へ入ったルーツが多良木相良氏関連の史跡で確認できます。残念ながら、球磨川の改修工事で頼影館の建物は現存しません。
中山観音堂は昔、この地にあった中山寺の本堂でした。ご本尊の聖観音菩薩立像は、慈悲の心であらゆる人々の苦しみを救うといわれています。また、安産を守る仏様です。旗や鐘の尾(鰐口を鳴らす木綿の布)などを奉納し、それを頂いて腹にまくとご利益があるということです。
相良三十三観音霊場28番札所、中山観音堂の入り口から5〜6百メートルあさぎり町側へ進んだところにある神社です。道沿いの大きな白い鳥居が目印です。多良木町奥野といえば、球磨焼酎「白岳」発祥の地でホームグラウンドです。白木神社の鳥居や石燈籠が立派なのもわかるような気がしました。
岩屋熊野座神社は、熊本県人吉市にある、国指定の重要文化財です。国の重文となるほど文化的価値が高く評価されています。鳥居、社殿、そして立地の3点に、他にはない特徴がみられます。相良家初代長頼が建てて以来、人吉藩としても重要な位置づけにありました。
鵜口観音は、相良三十三観音霊場の5番札所となります。鵜口あたりは、球磨川を水路として利用していた時代の交通の要衝でした。鵜口観音堂は、球磨川を見渡す場所にあります。球磨川を行き交う物流船や渡し船の、交通安全と水難防止を願ったものといわれています。
球磨郡最古の寺院「平等寺」のご本尊を収蔵する須恵阿蘇釈迦堂。古くに平等寺は本堂のほかに薬師堂、地蔵堂などがあり壮大だったといいます。あたりには、阿蘇神社、護王神社、山王神社の3社があり、一帯は一大聖域をなしていたと伝えられています。
大平渓谷は 清流の渓谷と大平の滝があり、 夏場は涼しさを求めて多くの人が集まるスポットです。渓谷にはキャンプサイトが作られ、アウトドアファンの間では無料キャンプ場として知られています。 予約不要・申込不要というか不可のキャンプ場です。
2004年(平成16年)五木村の中心部「頭地(とうじ)」にオープンした道の駅です。例年、紅葉シーズンには大盛況となります。現在の頭地は代替地に計画的に造られた町になります。そのため、観光施設が国道445号線沿いに集中して立地します。