堀切峠 宮崎県日南海岸を代表する景勝地
宮崎は、昭和 30 年代から 40 年代にかけて、新婚旅行の定番スポットとして、全国から観光客が押し寄せていました。ピークと比較すると観光客は減ったかもしれません。それは、ブームが去ったのであって、景観が損なわれたわけではありません。
宮崎は、昭和 30 年代から 40 年代にかけて、新婚旅行の定番スポットとして、全国から観光客が押し寄せていました。ピークと比較すると観光客は減ったかもしれません。それは、ブームが去ったのであって、景観が損なわれたわけではありません。
被災から3週間がたちました。ようやく復興への動きが加速してきました。インフラはまだまだ手付かずの地域もありますが、交通事情と流通経路はかなり復旧しています。令和2年熊本・鹿児島大雨災害の災害支援については、ふるさと納税サイトを通じて寄付ができます。
2020 年(令和2年)7月の豪雨により、人吉市とその周辺は、かつてない大災害となりました。この記事では、夏目友人帳聖地の被災状況をまとめています。甚大な被害です。このまま失われるのではないかと、とても心配です。元の姿に戻ることを心から願います。
松谷阿蘇神社は、松谷棚田で有名な熊本県球磨村の松谷地区の神社です。松谷地区というのは、田舎の交流館「さんがうら」があるあたりの集落です。この集落の守り神として古くに創建されています。令和2年7月豪雨で被災した球磨村ですが、元の美しい姿を取り戻す日が来ることを心から祈っています。
大河原(おおうちばる)ダムは、宮崎県東臼杵郡美郷町にある、九州電力の発電専用ダムです。ダム直下の大内原発電所で、最大出力 16,000kw の発電をしています。7つのダムをもつ耳川水系河川の、最下流に位置するダムです。大内原発電所は、九州初のダム式発電所です。
責分校は、かつて八代市坂本町にあった鮎帰小学校の分校です。閉校後も木造校舎が残っていましたが、残念ながら解体されてしまい、もう見ることはもうできません。しかし、素晴らしい風景と校庭や分校の記念碑が現存しています。坂本町の道路網が復旧したら、また訪れたい場所です。
鮎帰小学校は、かつて熊本県八代市坂本町鮎帰にあった、公立小学校です。2003年(平成 15 年)に、同校の責分校とともに、八竜小学校へ統合されています。令和2年7月豪雨で大災害のあった旧坂本村ですが、鮎帰小学校のそばに油谷川が流れているのが気がかりです。
鹿屋市鉄道記念館は、鹿児島県の国鉄鹿屋駅跡にある鉄道記念館です。1987年(昭和62年)に廃線となった、旧国鉄大隅線の歴史を今に伝えています。サブタイトルは、大隅鉄道「鹿屋驛(えき)」で、キハ20 441号機が静態保存されています。
高隈ダムは、鹿児島県鹿屋市にあるかんがい専用ダムです。不毛のシラス地帯だった笠野原台地に農業用水を送っています。農林水産省の直轄ダムで、大隅半島では最大規模のダムとなります。ダム湖は「大隅湖」と名付けられています。鹿児島県有数のバス釣りスポットです。
志布志市鉄道記念公園は、国鉄時代の志布志機関区跡につくられた公園です。大隅線と志布志線が廃止された当時、機関区にあった車両が静態保存されています。旧志布志駅は大きな駅でした。現在のJR日南線の志布志駅は、貨物の引込線を利用し、新設されたものです。
都井岬は、宮崎県串間市にある岬です。日本唯一の野生馬生息スポットとして知られています。絶景の中、あちこちに草を食べている馬がいて、一瞬、非日常の世界に迷い込んだような錯覚におちいります。馬と絶景のほかにも、魅力的なスポットが集まっています。
1960年代、宮崎は新婚旅行ブームに沸いていました。都井岬にも、全国から観光客が詰めかけます。ピークとなった 1974年には、年間70万人もの人が、都井岬を訪れていました。しかし、ブームは過ぎ去り 観光客は減少に転じます。