1960年代、宮崎は新婚旅行ブームに沸いていました。
都井岬にも、全国から観光客が詰めかけます。
ピークとなった 1974年には、年間70万人もの人が、都井岬を訪れていました。
しかし、ブームは過ぎ去り 観光客は減少に転じます。
2000年代に入ると、宿泊施設が次々と閉館しています。
近年の観光客数は年間10万人程度で、大きな宿泊施設は廃業してしまいました。
都井岬グランドホテル
都井岬の入り口にあったホテルです。
建物が現存しています。
道路沿いにあり結構目立ちます。
現在のところ解体の計画はないようです。
都井岬観光ホテル
かつて、宮崎交通が運営していた、都井岬最大規模のホテルです。
2010年廃業、1階部分は道の駅ならぬ「岬の駅 都井岬」として、営業していました。
2013年に完全撤退しています。
最終的には串間市の所有となり、解体されました。
2020年には跡形もなくなり、跡地は観光交流施設「パカラパカ」となりました。
都井岬ビジターセンター
2020年まで、都井岬や御崎馬を紹介してくれる現役施設でした。
3月31日に閉館しています。
ビジターセンターの役割は、今後は「パカラパカ」が担うということでしょう。
公的施設なので、放置して廃墟化することはないはずです。
都井岬荘
都井岬南灯台へ行く途中にあるホテルです。
建物がそのまま残っています。
宿泊業は典型的な先行投資業種です。
通常は代わりに経営に乗り出す人がいるのですが・・・
観光客が来ないことには、だれも引き継ぎません。
都井岬磯ホテル
都井岬の南岸沿いにあったホテルです。
建物が現存していますが、潮風に直接さらされるため、建物の劣化が進んでいます。
ホテルまでの通路が草木で覆われないのは、馬が草を食べるから?
都井岬ドライブイン
ドライブイン兼民宿岬の遺構として、けっこう有名でした。
以前の写真です。
現役施設として、再生していました。
かわりといってはなんですが、ドライブイン前の青い2階建ての建物が遺構化していました。
白蛇神社
扇山にある生きた白蛇さまをまつった神社です。
白蛇がいなくなったのか、閉社となっていました。
都井岬レーダー基地
都井岬レーダー基地は、観光遺構ではなく戦争遺構です。
大戦時、扇山には最新の電探を配置した海軍基地がありました。
敵機の情報は、鹿屋航空基地に報告していました。
終戦期には1日に200~300機の敵機が飛来していたそうです。
防空壕跡です。
100人規模の基地だったようです。
兵舎跡の防空壕です。
まとめ
串間市としては、こうした観光遺構を撤去したいと考えているようです。
たしかに、岬全体を観光資源と考えると、遺構群にあまりいいイメージはありません。
都井岬観光ホテルは岬の中心地点なので、市がなんとか解体しました。
買取や解体には莫大な公費が投じられています。
あとの施設に関しては、自然にまかせて自然に返すしかないのかもしれません。
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