鮎帰発電所跡 現存する明治の産業近代化遺構
鮎帰発電所は、十条製紙坂本工場の発電所でした。坂本工場が操業を停止する1988年(昭和63年)まで、現役の発電所として稼働していました。なんと、その竣工は1909年(明治42年)までさかのぼります。近くに行けば、近所の住居と明らかに風貌がちがいますので、すぐそれとわかると思います。
鮎帰発電所は、十条製紙坂本工場の発電所でした。坂本工場が操業を停止する1988年(昭和63年)まで、現役の発電所として稼働していました。なんと、その竣工は1909年(明治42年)までさかのぼります。近くに行けば、近所の住居と明らかに風貌がちがいますので、すぐそれとわかると思います。
高沢小学校は、かつて熊本県球磨郡球磨村神瀬にあった村立小学校です。谷あいの集落ということで、 長い歴史の間には、洪水や土砂崩れの被害に遭っています。一時期は、中学校も併設されていました。球磨村公民館高沢分館として改築されています。
球磨村のキャッチフレーズは、「急流と鍾乳洞の里」です。その名の通り、複数の鍾乳洞がありますが、今回はマイナースポット「高沢鍾乳洞」の記事になります。鍾乳洞は複雑で、三層構造をしているといい、もっと奥深い横穴は430mに及ぶといいます。
高沢観音は、熊本県球磨郡球磨村神瀬の高沢地区にある観音さまです。高沢地区へ行くには、一勝地の役場の横から登ります。しばらく進むと、山間に集落が開けています。高沢地区は、相良藩政下では、 信仰が禁止された一向宗を守り続けた地でした。
国道219号線から深水地区へ行くには、深水橋を渡ります。深水川に沿って道が続いていますが、なかなかの細い道になります。JNC深水第一発電所の少し手前の深水社会教育センターが深水小学校の跡地になります。校舎跡は山小屋風の屋根で、周囲の景色と調和しています。
里宮神社は、熊本県球磨郡湯前町にある神社です。地元では昔から縁結びの神さまとして知られています。市房山神宮の遥拝所(ようはいしょ)として創建した経緯から、市房山神宮下宮という位置づけになっています。日本遺産人吉球磨地域の構成文化財です。
西部(さいぶ)小学校は、かつて熊本県八代市坂本町にあった村立小学校です。文字通り、旧坂本村の西部にありました。2003年(平成15年)に、坂本村立の7小学校が、八竜小学校へ統合され、廃校となりました。現在は、八代市西部社会教育センターとして使用されています。
百済来(くだらぎ)村とは、現在の八代市坂本町にあった村です。新八代市合併以前の坂本村は八代郡にありました。しかし、坂本村発足以前の百済来村は葦北郡の村でした。明治時代建てられた、木造の旧庁舎が現存しています。
深水発電所は、かつて熊本県八代市坂本町にあった、製紙工場へ電力を供給していた発電所です。竣工は1921年(大正10年)で、工場が操業停止となる1988年(昭和63年)まで使い続けられました。対岸の国道219号線から、遺構の姿をみることができます。
宇土市民会館は、熊本県宇土市にあるイベント施設です。夏目友人帳~うつせみに結ぶ〜をご覧になった方にしかわかりませんが、笹田さんの弁論大会会場と結城くんと再会した場所のモデルです。となりの宇土市立鶴城中学校と合わせて、聖地となっています。
十条製紙坂本工場跡は、かつて八代市坂本町にあった、九州で初めての近代的製紙工場でした。工場跡は、「くまがわワイワイパーク」という公園として整備されています。肥薩線の開通する10年も前から操業していたようです。現在も遺構が少し残っています。
普門寺観音は、相良三十三観音霊場の25番札所です。市房山神宮と関係が深く、「化け猫騒動」の発端となった普門寺の観音堂です。市房山神宮の遥拝所(ようはしょ)としての機能も有していましたが、1883年に焼失しました。里宮神社建立経緯にも関わります。