沈堕(ちんだ)発電所跡は、大分県豊後大野市にある、旧沈堕発電所の遺構です。
沈堕の滝の落差を利用した発電所で、現在は3㎞下流の新沈堕発電所が稼働しています。
近代化遺産
沈堕発電所は、1909年(明治42年)に、今はなき豊後電気鉄道によって建設されています。
このとき、沈堕の滝(雄滝)のすぐ上流に取水堰が設けられています。
豊後電気鉄道は、別府と大分を結んでいた鉄道会社ですが、動力源となる発電事業も行っていました。
沈堕発電所で発電された電気は、大分や別府に送電され、産業近代化に貢献しています。
しかし、1923年(大正12年)、下流に新沈堕発電所が建てられことで、旧発電所は役割を終えています。
新沈堕発電所は、既存の取水堰をかさ上げし、出力を大幅にアップしました。
一方で、沈堕の滝(雄滝)の流量は減り、かつての名瀑ぶりはなりを潜めることになります。
沈堕の滝
沈堕の滝は、室町時代の水墨画家・雪舟が描いた「鎮田瀑図」のモデルで、昔から有名な滝です。
阿蘇カルデラの大噴火で押し寄せた火砕流が、溶結凝灰岩となり、大野川の浸食を受けたことでできています。
高さ | 幅 | 河川名 | |
雄滝 | 17m | 97m | 大野川 |
雌滝 | 18m | 4m | 平井川 |
雄滝の岩は、柱状節理といって垂直に割れるため、水流が13条に分かれていたといわれます。
ただその分崩落しやすく、滝はどんどん上流へ移動していました。
150年ほど前には、滝は今よりも240mほど下流にあったといいます。
雪舟が見たのは、雄滝と雌滝が近くにあるころの姿です。
沈堕発電所の取水堰は、滝の崩落を止める意味もあったとされます。
1996年(平成8年)に、これ以上の崩落を止めるとともに、修景する工事が行われています。
現在は一定量が放流され、かつての姿を取り戻したといわれています。
沈堕落とし
豊後国岡藩では、白か黒か判断がつかない被告人をこの滝つぼへ落とし、無事に泳ぎついたら無罪放免としていました。
これを「沈堕落とし」とよんでいたことが、名前の由来といわれています。
ただし、滝つぼはとても危険な場所といわれていて、まさに沈んで堕ちる、疑わしきも罰していた刑場の滝でした。
実際に沈堕落としが執行されたのは3回で、うち1名が生還したと聞きますが、ソースは不明です。
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