深水観音堂 水に対する祈願と堤を守る観音さま

深水観音(ふかみかんのん)は、相良三十三観音霊場の16番札所となっています。

深水観音堂

境内にある相良藩の家臣、深水頼方宗芳のお墓は、「歯のかみさん」として有名です。

長命寺

深水観音堂のあるあたりは、かつては長命寺というお寺でした。

長命寺は1505年に、地頭の深水右馬介長命が、菩薩寺として創建したものです。

深水観音堂の扉

のちに長命寺は長く廃絶していましたが、1683年に慈雲庵として再興されました。

深水観音堂の入り口側

観音堂のとなりには、深水頼方宗芳という相良藩の家臣のお墓があります。

こちらは「歯の神さん」として有名です。

深水頼方宗芳

深水頼方宗芳は、上相良家初代頼影の子孫で、相良藩の家臣でした。

肥後国一揆を発端とする、相良家の一大危機を救った人物です。

肥後国一揆とは?

肥後国一揆というのは、豊臣秀吉に任命された肥後(現在の熊本県)藩主、佐々木成政に国人衆が反発して起きた反乱のことです。

薩摩(現在の鹿児島県)から、島津氏と伊集院氏が、一揆鎮圧の命を受けて北上します。

深水観音堂の西側

ところが佐々木成政は、これを乱に乗じて自分を攻め殺そうとする動きと勘違いします。

時の人吉藩主、相良頼房は、佐々成政の命で、島津氏と伊集院氏の肥後入国を防ごうとしました。

深水観音堂玄関

これが豊臣秀吉の逆鱗に触れ、相良藩没収の命が下されました。

この時、急きょ大阪へ向かい、豊臣秀吉に直訴して行き違いを説明したのが、 深水頼方宗芳でした。

ご本尊

ご本尊は、古くは十一面観音像であったといいます。

現在のご本尊は、聖観音坐像です。

深水観音と脇仏

1683年、長命寺が慈雲庵として再興されたときに、長命寺のご本尊であった聖観音像を観音堂に移したものと考えられています。

一方では、慈雲庵となるときに、錦町一武の山上之寺から移されたという説もあります。

深水観音堂の御朱印箱

脇仏は慈雲庵のご本尊だったものです。

深水観音堂の説明板

そして、古くのご本尊、十一面観音像は、蓑毛観音堂(15番札所)に移されたと考えられています。

深水観音堂の鰐口

昔、深水は井戸を掘っても水が出ず、水の不自由な土地柄だったといいます。

深水観音は、水に対する祈願と、堤を守る仏としてまつられたものでした。

場所 熊本県球磨郡相良村大字深水

少しわかりにくい場所にあります。

人吉から国道445号線ルートで行くなら、相良村商工会館前の三差路を右折です。

深水観音堂入り口

少し走ると、左側が少し広くなり、駐車スペースになっているところがあります。

駐車場の前方位に深水観音堂の登り口があります。

関連記事

【関連記事】人吉・球磨で病気に対しご利益があるスポット14選

【関連記事】人吉・球磨の健康祈願スポット10選

【関連記事】人吉球磨三十三観音 Web上で巡礼できるようにしてみた

【関連記事】相良三十三観音めぐり 札所まとめ

【15番札所】蓑毛観音堂 長寿・家内安全にご利益

【17番札所】上園観音堂 子ども病気から守るトトロの森の対岸の観音さま