深水小学校は、八代市坂本町深水にあった公立小学校です。
深水地区
国道219号線から深水地区へ行くには、深水橋を渡ります。
深水川に沿って道が続いていますが、なかなかの細い道になります。
しかし、ところどころに離合ヶ所を設けてありますし、幅員が広くなるところもあります。
谷あいに沿って、集落が点在しています。
狭い土地を有効に使って、工夫して居住空間を確保してあります。
これは、深水地区に限らず、谷あいの集落ではよくみられます。
しかし、県道を外れると本当に道が狭く、不便な感じはします。
JNC内谷第一発電所
JNCというのはチッソの子会社です。
チッソというのは、熊本県の水俣工場でメチル水銀を含んだ廃液から水俣病を引き起こしたことで有名です。
本業は化学メーカーですが、もともとは水力発電事業で創業した会社です。
水俣工場へ電力を送るため、南九州各地に自社の発電所を持っています。
深水地区にある、内谷第一発電所もそのひとつで、現在も水俣へ電気を送り続けています。
内谷第一発電所で特徴的なのは、揚水の取水をはるか10㎞以上先の、内谷川の下中村揚水場で行っていることです。
揚水した水は、険しい山中の導水管を通り、深水地区へ送られます。
内谷第一発電所は、1950年(昭和25年)竣工です。
70年も前に、山の中に大掛かりな水力発電設備が完成していたことに驚きました。
JNCには、熊本県内11ケ所、宮崎県と鹿児島県にそれぞれ1ヶ所、合計13ヶ所の水力発電所があります。
そのうち、球磨川水系のものは5つです。
すべて、自社送電線で水俣工場へ送電しているというのにも驚きました。
※ 写真は下中村揚水場のものです。
深水小学校
沿革
1875年(明治8年) | 今泉小学校の分校として創立 |
1879年(明治12年) | 松龍小学校深水分校となる |
1887年(明治20年) | 深水教所として本校となる |
1892年(明治25年) | 深水尋常小学校と改称 |
1941年(昭和16年) | 深水国民学校と改称 |
1946年(昭和21年) | 下松求麻村立深水小学校となる |
1961年(昭和36年) | 3村合併により坂本村立深水小学校となる |
1991年(平成3年) | 現存校舎落成 |
2003年(平成15年) | 八竜小学校へ統合し廃校 |
現状
建物は3階建てですが、山小屋風の屋根で、周囲の景色と調和しています。
廃校後は、深水社会教育センターとして利用されています。
運動場も草一本生えておらず、大切にされていることがわかります。
八竜小学校に統合した、村内の本校8校のうち、校舎の大きさや周辺環境から察するに、最も小規模校だったのではないかと思います。
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