福地小学校は、かつて鹿児島県霧島市福山町にあった公立小学校です。

現在は、福地地区公民館になっています。
福地地区

福地地区は、霧島市福山町のなかでも、上場とよばれる台地にある地区です。

錦江湾沿いの下場からは、始良カルデラの外輪山をなす斜面を上ります。

台地にのぼると、高隈山地の裾に広がる森林のところどころに、農地が拓かれています。

国道 504号線は、鹿屋市から国分市へ抜ける近道で、交通の便は良くなっています。

しかし、国道から脇道には未改良の道路が入り込んでいます。

学校遺構

福地小学校の閉校は、旧福山町時代です。

1976年(昭和 51年)に、福山町立牧之原小学校と統合し閉校しています。

閉校後40年以上を経過し、現地の学校遺構は数少なくなっています。

造成された敷地と運動場から、学校跡というのはわかります。

しかし、小学校時代から残る建造物はわずかです。

校庭のオブジェは、希少な遺構です。

唯一残る、卒業記念作品です。

校庭のイチョウとニレの木がシンボルツリーです。

大木は小学校時代からあったものでしょう。

運動場の国旗掲揚台の支柱は、やけに曲がっています。

それもそのはず、近くで見ると支柱は竹製というか竹そのもです。

基本部分は、小学校時代のものです。

福地地区公民館
福地小学校跡地は福地地区公民館になっています。

建物は廃校後造られたものであり、いかにも公民館らしいデザインです。

運動場にある、「福地地区ふれあいの館」も閉校後建てられたものです。

おそらく、倉庫も閉校後のものと思われます。

近くにある福地地区体育館ですが、これも福地小学校の閉校後に建てられています。

福地小学校跡の体育館が古くなったため、代替施設として近くに建てたものと考えられます。

福地小学校が現役だった1975年(昭和50年)の航空写真です。

閉校後の航空写真で、小学校の建物はすべてなくなり、公民館と近くに地区の体育館ができたことがわかります。

沿革

1976年(昭和51年) 福山町立牧之原小学校と統合し閉校
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