願成寺は人吉城の鬼門に建てられた一大寺院です。
敷地の大部分は相良家墓地となります。
願成寺
1233年、相良家初代領主、相良長頼によって創建されたお寺です。
願成寺は人吉城からみて、丑寅(北東)の方角にあたります。
鬼門を守護する意味も含めて、氏寺としたといわれています。
1611年、戦国時代末期に、勢辰和尚により勅願寺の指定を受けました。
勅願時というのは、時の天皇や上皇が国家鎮護、皇室繁栄を祈願した祈願寺のことです。
ちなみに、当時の天皇は後陽成天皇でした。
つまり、寺格が上がったということです。
以後、江戸時代を通じて、人吉球磨地域において、最高位のお寺でした。
ご本尊である阿弥陀如来坐像は、国の重要文化財です。
不動明王や絹本金剛界曼荼羅、絹本胎蔵界曼荼羅、石造七重塔などは、熊本県指定の重要文化財となっていて、多くの寺宝を所蔵しています。
相良家墓地
願成寺の本堂の裏手に相良家墓地があります。
相良家初代長頼から37代頼綱まで、歴代藩主の墓が建ち並ぶほか、一族、家臣の墓地となっています。
江戸時代初期には、歴代藩主の墓は各地に散在していました。
江戸時代中期に、この相良家墓地に集められたのだそうです。
願成寺と相良家墓地は、日本遺産人吉球磨の構成文化財の12番となります。
大村平家城跡
相良家墓地からさらに山を登ると、中世の城跡があります。
大村平家城といいますが、城の由来はよくわかりませんでした。
大村というのは、人吉合併前のこのあたりの村名です。
平氏政権であった、1100年代後半、人吉は平氏の所領でした。
平家城というのは、当時の城であったことを意味するのだと思います。
城跡からは、人吉市北部の展望がききます。
中央が人吉インタ-チェンジです。
清水観音堂
願成寺の入り口にある観音堂です。
相良三十三観音霊場の1番札所となります。
清水観音については、別記事にしています。
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