花岡山仏舎利塔

花岡山 赤い鳥居がよびよせる熊本市のベスト夜景スポット

花岡山(133m)は、熊本駅のすぐ北西にある山です。

花岡山仏舎利塔

頂上付近にはサクラの木が植えられ公園化されています。

花岡山からの夜景

花岡山から見た熊本市中心部

花岡山の山頂からは、熊本市街がよく見えます。

高過ぎず低すぎず、遠すぎず近すぎず、人気の夜景スポットです。

花岡山 頂上駐車場への夜間進入禁止の表示

ただし、山頂の駐車場は車両の入場時間制限がありますので、少し下の駐車場にとめて歩きます。

花岡山から見た熊本市西部の風景

昼と夜で表情が変わるのは当然ですが、花岡山は雰囲気も変わります。

つまり、昼間の訪問者は年齢層高めで、夜になると独身カップル多めになります。

花岡山から見た熊本駅

ちなみに、熊本駅がすぐそこに見えます。

花岡山から見た九州新幹線

新幹線もこの通り、肉眼で見えます。

花岡山のサクラ

それに訪れてみて気づきましたが、お花見スポットです。

花岡山のサクラ

この日は、外でお食事される人も多く、みなさん滞在時間も長めでした。

花岡山の階段

赤い鳥居

戸坂稲荷神社の赤い鳥居

山頂近くの赤い鳥居には、戸坂稲荷と書かれていますが、近くにお社は見当たりません。

戸坂稲荷神社の赤い鳥居

帰ってから調べると、 お社は西側から登る石段の途中にあるということです。

戸坂稲荷神社の赤い鳥居

この鳥居には、すこし曰くがあります。

花岡山の山頂へ向かうつもりが、どういうわけか赤い鳥居についてしまう

引き返して何度も山頂へ向かうが、 どうしても赤い鳥居についてしまう

こうして、不思議な鳥居とうわさされるようになります。

戸坂稲荷神社の赤い鳥居

不思議な力が働き呼び寄せるのか、 ただの方向音痴なだけかは明らかではありません。

戸坂稲荷神社の赤い鳥居横のサクラ

確かに頂上へ向かっているつもりが、いつの間にか鳥居のある駐車場に着くことがあります。

戸坂稲荷神社 サクラ
心霊スポット恐怖体験談 | 日本全国の心霊スポットでの肝試し・恐怖体験談(実話)を集めました。

熊本県の花岡山といえば山頂や朱い塚ですね。キリシタンが殺されて……のような話なのですが、今回私が体験したのは少し別の話。…

花岡山仏舎利塔

花岡山仏舎利塔

仏舎利塔というのは本来、お釈迦さまの遺骨を納める建物です。

花岡山仏舎利塔

木造建築が主であった日本では、五重塔などが仏舎利塔の代わりとして使われてきました。

花岡山仏舎利塔の由来

平和を願う象徴として各地に仏舎利塔が建てられたのは、戦後になってからです。

花岡山仏舎利塔へ登る階段

花岡山仏舎利塔は1953年(昭和28年)に完成しています。

花岡山仏舎利塔横のサクラ

国内ではかなり早い時期に建てられた仏舎利塔です。

花岡山仏舎利塔横のサクラ

仏舎利(お釈迦さまの遺骨)は量に限りがあるため、代替品として宝石や経典などが納められています。

花岡山仏舎利塔とサクラ

本物のお釈迦さまの遺骨が納められているのは、日本では3つしかないといわれています。

花岡山熊本県熊本市
平和公園静岡県御殿場市
名古山霊園兵庫県姫路市

いずれもインドがネルー首相だった時代に、平和を祈念して日本へ贈られたものです。

花岡山仏舎利塔 頂上部

藤井日達上人像

花岡山仏舎利塔前の広場

藤井日達上人(1885~1985)は、熊本県一の宮町(現在の阿蘇市)出身のお坊さんです。

藤井日達上人の像

インドに渡り平和運動として、世界各地に仏舎利塔を建てられた方です。

藤井日達上人の像

花岡山仏舎利塔ももちろん、藤井日達上人が建てられています。

花岡山の階段

加藤清正公の兜石と腰掛石

加藤清正公 兜石

熊本城築城のさいは、花岡山から石を切り出しています。

加藤清正公 兜石

兜石(かぶといし)は指揮をとる加藤清正公が、兜をぬいでかけていた石といわれています。

加藤清正公 腰掛石

腰掛石は、清正公がいつもすわっていた石です。

加藤清正公 腰掛石

熊本バンド奉教の碑

花岡山の日本山妙法寺

岡山には仏舎利塔があるので仏教色を強く感じますが、キリスト教ゆかりの地でもあります。

熊本バンド奉教記念碑登り口

熊本バンドというのは、熊本洋学校の生徒で構成されたプロテスタントグループです。

熊本バンド奉教記念碑前の広場

花岡山で奉教趣意書に署名したメンバーを、熊本バンドとよんでいます。

熊本バンド奉教記念碑

1876年(明治9年)米国人教師LL.ジェーンズの影響を受け、結成されたものです。

熊本バンド奉教記念碑

熊本バンドのメンバーは、熊本洋学校閉校後同志社大学へ転校し、日本教会基督組合で確固たる地位を占めることになります。

熊本バンド奉教記念碑

札幌バンド、横浜バンドとならび、明治プロテスタントの源流といわれています。

熊本バンド奉教記念碑の説明板

フィリピン戦没者慰霊碑

フィリピン戦没者慰霊碑

大東亜戦争では、進攻作戦と防衛作戦、2度にわたりフィリピンでの戦いが繰り広げられます。

フィリピン戦没者慰霊碑の銘板

特に、1944年(昭和20年)から翌年にかけて行われた防衛作戦は大激戦となりました。

フィリピン戦没者慰霊碑

両軍ともに多数の方が犠牲になられています。

フィリピン戦没者慰霊碑 軍馬の碑

終戦後に行われた、遺構収集事業を記念して慰霊碑が建てられています。

フィリピン戦没者慰霊碑 由来

場所 熊本県熊本市西区春日

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