花岡山(133m)は、熊本駅のすぐ北西にある山です。

頂上付近にはサクラの木が植えられ公園化されています。
花岡山からの夜景

花岡山の山頂からは、熊本市街がよく見えます。
花岡山の夜景は綺麗ですね、本当に😌 pic.twitter.com/5RPoOPkabZ
— kota (@20_ZXT02K) June 25, 2021
高過ぎず低すぎず、遠すぎず近すぎず、人気の夜景スポットです。

ただし、山頂の駐車場は車両の入場時間制限がありますので、少し下の駐車場にとめて歩きます。

昼と夜で表情が変わるのは当然ですが、花岡山は雰囲気も変わります。
花岡山から見た熊本市の夜景。
— シンタロウ (@bouzu0801) September 24, 2019
ここからの夜景は好きですが、カップル率高めです💏#熊本#花岡山#夜景 pic.twitter.com/ckpH22zOBA
つまり、昼間の訪問者は年齢層高めで、夜になると独身カップル多めになります。

ちなみに、熊本駅がすぐそこに見えます。

新幹線もこの通り、肉眼で見えます。

それに訪れてみて気づきましたが、お花見スポットです。

この日は、外でお食事される人も多く、みなさん滞在時間も長めでした。

赤い鳥居

山頂近くの赤い鳥居には、戸坂稲荷と書かれていますが、近くにお社は見当たりません。

帰ってから調べると、 お社は西側から登る石段の途中にあるということです。

この鳥居には、すこし曰くがあります。
花岡山の山頂へ向かうつもりが、どういうわけか赤い鳥居についてしまう
引き返して何度も山頂へ向かうが、 どうしても赤い鳥居についてしまう
こうして、不思議な鳥居とうわさされるようになります。

不思議な力が働き呼び寄せるのか、 ただの方向音痴なだけかは明らかではありません。

確かに頂上へ向かっているつもりが、いつの間にか鳥居のある駐車場に着くことがあります。

熊本県の花岡山といえば山頂や朱い塚ですね。キリシタンが殺されて……のような話なのですが、今回私が体験したのは少し別の話。…
花岡山仏舎利塔

仏舎利塔というのは本来、お釈迦さまの遺骨を納める建物です。

木造建築が主であった日本では、五重塔などが仏舎利塔の代わりとして使われてきました。

平和を願う象徴として各地に仏舎利塔が建てられたのは、戦後になってからです。

花岡山仏舎利塔は1953年(昭和28年)に完成しています。

国内ではかなり早い時期に建てられた仏舎利塔です。

仏舎利(お釈迦さまの遺骨)は量に限りがあるため、代替品として宝石や経典などが納められています。

本物のお釈迦さまの遺骨が納められているのは、日本では3つしかないといわれています。
花岡山 | 熊本県熊本市 |
平和公園 | 静岡県御殿場市 |
名古山霊園 | 兵庫県姫路市 |
いずれもインドがネルー首相だった時代に、平和を祈念して日本へ贈られたものです。

藤井日達上人像

藤井日達上人(1885~1985)は、熊本県一の宮町(現在の阿蘇市)出身のお坊さんです。

インドに渡り平和運動として、世界各地に仏舎利塔を建てられた方です。

花岡山仏舎利塔ももちろん、藤井日達上人が建てられています。

加藤清正公の兜石と腰掛石

熊本城築城のさいは、花岡山から石を切り出しています。

兜石(かぶといし)は指揮をとる加藤清正公が、兜をぬいでかけていた石といわれています。

腰掛石は、清正公がいつもすわっていた石です。

熊本バンド奉教の碑

岡山には仏舎利塔があるので仏教色を強く感じますが、キリスト教ゆかりの地でもあります。

熊本バンドというのは、熊本洋学校の生徒で構成されたプロテスタントグループです。

花岡山で奉教趣意書に署名したメンバーを、熊本バンドとよんでいます。

1876年(明治9年)米国人教師LL.ジェーンズの影響を受け、結成されたものです。

熊本バンドのメンバーは、熊本洋学校閉校後同志社大学へ転校し、日本教会基督組合で確固たる地位を占めることになります。

札幌バンド、横浜バンドとならび、明治プロテスタントの源流といわれています。

フィリピン戦没者慰霊碑

大東亜戦争では、進攻作戦と防衛作戦、2度にわたりフィリピンでの戦いが繰り広げられます。

特に、1944年(昭和20年)から翌年にかけて行われた防衛作戦は大激戦となりました。

両軍ともに多数の方が犠牲になられています。

終戦後に行われた、遺構収集事業を記念して慰霊碑が建てられています。

場所 熊本県熊本市西区春日
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