磔者坂というのは、鹿児島市吉野町にある坂の名前です。
鹿児島県では、古くから心霊スポットして有名な場所です。
磔(はりつけ)の刑
1387年~1550年、清水城(しみずじょう)が島津氏の本城だったころの話です。
このあたりは、重罪人を磔(はりつけ)にしていた刑場だったといわれています。
何せ600年も前の話ですから、正確な刑場がどこであったかはわかりません。
ただ、坂に磔者(はたもん)と名付けるからには、すぐそばに刑場があったはずです。
大石兵六夢物語
地域の案内板にある説明では、大石兵六なる人物が、吉野の妖怪を退治していたとあります。
1784 年に薩摩藩士・毛利正道が書いた、大石兵六(ひょうろく)夢物語の中での話です。
大石兵六夢物語は、鹿児島の郷土文学の中でも最も愛読されている著作です。
さらに、大石兵六は鹿児島銘菓「兵六餅」のモデルなので、地元では超有名キャラクターです。
兵六餅のパッケージイラストは、化け物退治に向かう主人公の大石兵六です。
ふんどしのチラ見せが心をつかみます。
姉妹品はボンタンアメ。どちらもセイカ食品のロングセラーです。
妖怪が出る坂
大石兵六が吉野に向かい、最初に妖怪に出会ったのが磔者坂でした。
磔者坂は、当時から妖怪でも出そうな場所だった裏付けでもあります。
この妖怪の正体は、狐(きつね)が化けた茨木童子(いばらきどうし)です。
容姿としては、眼は燃える火のように赤く、口は耳まで裂けているといいます。
もっとも、大石兵六夢物語の作品自体は、怪談ではなくユーモアあふれる風刺物語となっています。
心霊スポット
霊感がある方にとっては、尋常ではない雰囲気を感じる場所といいます。
この坂を通ると「背筋に寒気が走る」というのは、よくいわれています。
しかし、命にかかわるような事故があったという報告は見かけません。
現在は、一帯に住宅街が広がっていますが、ここだけは確かに夜は通りたくない雰囲気があります。
600年前からキツネも化けて出そうな山道だったでしょうが、それは今も変わりません。
史実と著作物がもとになっている心霊スポットです。
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