本戸(ほんど)小学校は、かつて鹿児島県霧島市国分川内にあった公立小学校です。
1981年(昭和56年)に閉校していますが、今なお学校の雰囲気が大事に残されています。
本戸地区
本戸地区があるのは、霧島市東部の山間です。
平成の大合併までは、国分市でした。
本戸小学校は、旧国分市のなかでも、最東端に位置していました。
生活圏は、となりの旧財部町と重なります。
国分駅まで車で40分以上かかるのに対して、財部町の大隅大川原駅までは15分で着きます。
アクセス道は、地図で見て想像していたほど細くはありません。
1車線ではありますが、舗装されていて離合個所もあります。
そこそこの交通量もありました。
校内
本戸小学校は、40年も前に閉校となっています。
跡地は本戸公民館となり、学校当時の名残が残っています。
校門
コンクリート製校門は、明らかに小学校時代のものです。
閉校記念碑
校門を入ってすぐの場所に、閉校記念碑が建てられています。
となりの縦長の碑は、「亡師亡友之碑」です。
運動場
運動場はトラックの跡こそなくなっていますが、とてもきれいに整備されています。
小学校閉校後も、毎日のように使われてきたのがわかります。
校舎
驚くことに、木造校舎の一部が残っています。
写真左の建物が校舎で、写真右の建物は、閉校後建てられた公民館です。
1975年(昭和50年)の航空写真です。
現在の航空写真です。
残っているのは、校舎の東端のほんの一部です。
はじめ見た時は、とても小規模な学校だったのかとも思いました。
東側から見ると、北側に出入口があります。
北側から見ると、窓があります。
北側から中を覗いてみました。
西側の壁は不自然に新しく、一面が壁で窓がありません。
元の校舎を減築した証拠です。
体育倉庫
体育倉庫も、学校時代からの建物です。
大事に使われています。
沿革
1902年(明治35年) | 平山小学校本戸分教場として創立 |
1947年(昭和22年) | 東国分村立本戸小学校として独立 |
1954年(昭和29年) | 国分町立本戸小学校へ改称 |
1955年(昭和30年) | 国分市立本戸小学校へ改称 |
1981年(昭和56年) | 国分市立木原小学校へ統合 閉校 |
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