市比野中学校はかつて、鹿児島県樋脇町(現在の薩摩川内市)にあった、公立中学校です。
半世紀も前に閉校となっていますが、奇跡的に校舎が残っていました。
旧樋脇町内の中学校合併
市比野中学校が閉校したのは、もう半世紀も前のことです。
しかし、跡地には木造校舎が残っています。
校舎が残っているのは特殊な事情があります。
旧樋脇町にあった市比野中学校は、1971年(昭和46年)に通脇中学校と対等合併しています。
新樋脇中学校の校舎が完成するまでの間、旧樋脇中学校市比野分教場と旧樋脇中学校通協分教場として、旧校舎が使われています。
1973年(昭和48年)、新校舎落成により完全統合し新樋脇中学校へ完全移転しました。
そのため市比野中学校旧校舎の実質的な閉校は、1973年(昭和48年)ということになります。
企業誘致
1970年代、鹿児島県では企業誘致をすすめていました。
それに応えたのが、埼玉県飯能市の松下製作所でした。
松下製作所の先代の社長さんは、川内市出身で会社勤務を経て独立起業した方です。
1973年(昭和48年)、使われなくなった市比野中学校跡を利用して、松下製作所の関連会社・樋脇精工が創業しています。
光学関係の精密部品の設計製造、そして加工を行う会社で、現在は新工場へ移転しています。
いまや世界最小クラスのロボットを独自開発する、技術力の高い会社に成長しています。
そのきっかけが市比野中学校跡の校舎だったのです。
建物の配置
1964年(昭和39年)には、現存する校舎がすでにありました。
1974年(昭和49年)、 閉校後間もないころの航空写真では、体育館が確認できます。
元からある建物の配置は変わりませんが、間に小さな建物が増えたのがわかります。
ちなみに敷地はその昔、前之園家という長者一族のお屋敷でした。
市比野温泉へ行くには、ここから北へ1.2㎞です。
校舎と工場のハイブリッド
市比野中学校跡に残る校舎は、かなり古いものです。
学校跡なのですが、工場跡という印象が強くなっています。
特にメインで使われていた校合は、ほぼ学校の面影はなくなっています。
しかし、よく見ると黒板があったりして、学校跡の名残りがあります。
いわば、学校と工場のハイブリッドです。
廊下の突き当りなんかが、その典型です。
工場となってから増築された建物は、しっかりしています。
しかし、残念なことに古い部分から倒壊がはじまっています。
得に北側の木造建物は完全に倒壊しています。
この木造部分こそ、旧市比野中学校の校舎だったのです。
運動場と同じ高さにある校舎
運動場と同じ高さにも校舎が残っています。
この草むらには、体育館があったのですが、2016年(平成28年)に解体されています。
校舎も草に覆われそうです。
一旦道路へ出てみましたが、やはり校舎は草に覆われています。
運動場と反対側からみることができました。
よく見ると、上の段にあった校舎よりもさらに古く感じます。
付属建物はすでに骨組みだけになっています。
窓が壊れていて、内部が丸見えです。
当直室か宿泊施設だったような押入れがあります。
給湯器が見えるので炊事場でしょうか。
もはや教室だったのか工場だったのか、残留物からは判断がつきません。
残された大きな棚は、学校のものというよりは工場のものです。
物がないと学校跡という感じがしますが、床には大きな穴があいています。
建物は学校時代のままのように感じますが・・・
黒板は学校時代のもの、掲示物は工場時代のものです。
やはり、工場の一部として使われていました。
沿革
1947年(昭和22年) | 樋脇町立市比野中学校創立 |
1971年(昭和46年) | 樋脇町立樋脇中学校と対等合併 新樋脇中学校市比野分教場となる |
1973年(昭和48年) | 新校舎落成により新樋脇中学校へ完全統合 |
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