市成小学校は、かつて鹿児島県鹿屋市輝北町にあった公立小学校です。

鹿屋市で、最北にある小学校でした。
校区

現在の市成は、鹿屋市の北西部の一地区になっています。

2006年(平成18年)までは、現在も鹿屋市の町名として残る、輝北町という自治体でした。

さらにさかのぼると、1956年(昭和31年)までは、市成村というひとつの自治体だったのです。

旧市成村の西部が、市成小学校の校区となります。

市成小学校は、鹿屋市役所から30㎞程度離れています。

車で行っても、30分以上はかかります。

山間というより台地状の地形で、標高は345mです。

校舎

RC造の校舎は、2棟に分かれています。

北側が一部3階建ての教室棟です。

南側に平屋建ての管理棟が配されます。

2棟はRC造の渡り廊下でつながります。

よく見ると柱の角に、緩衝材がつけられています。

子供への配慮がうかがえます。

管理棟は、配置上も敷地の中心です。

玄関は建物のまん中にありますので、駐車場からは少し遠いですが、運動場から行くと正面です。

体育館

体育館は、クリーム色の壁を基調に、薄緑色の屋根で彩色されています。

中は見ませんでしたが、清潔感あふれる外観から察しがつきます。

その他の建造物

敷地の東端に、倉庫群が3棟あります。

壁には、生徒さん手書きの絵が描かれています。

管理棟南側のブロック造の建物は、「うさぎの家」です。

プール

低学年用プール付きの、6コース25mプールのスペックから、小規模校ではなかったことがわかります。

閉校記念碑

閉校記念碑は、学校敷地の最南端に南向きで建てられています。

輝北町らしい碑文のタイトル。そして、中央に二宮尊徳像を配し、石材加工技術を駆使した、近代的な碑に仕上がっています。

記念碑の側面と裏面を見てこなかったが心残りです。
沿革

1941年(昭和16年) | 市成国民学校へ改称 |
1947年(昭和22年) | 市成村立市成小学校へ改称 |
1956年(昭和31年) | 輝北町立市成小学校へ改称 |
2006年(平成18年) | 鹿屋市立市成小学校へ改称 |
2011年(平成23年) | 鹿屋市立輝北小学校へ統合 閉校 |

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