河俣小学校は、かつて熊本県八代市東陽町にあった公立小学校です。
ピーク時は2つの分校を持つ、旧河俣村の主力小学校でした。
太陽光発電
河俣小学校の運動場には、太陽光発電のパネルが並んでいます。
太陽光発電所は、閉校後、八代市・道東電機株式会社・東陽まちづくり協議会の3者で調印し実現したものです。
「しょうがの里河俣発電所」という名称です。
収益の一部は、地域振興に使われています。
しょうがの里
校区の旧河俣村は、面積の95%を山林が占めます。
農地は大部分が畑で、しょうが栽培が盛んです。
そのため、しょうがの里とよばれています。
閉校記念碑
河俣地区は、熊本県道25号宮原五木線沿いに拓けています。
県道から校門への坂を登って、通学していました。
1947年(昭和22年)から1969年(昭和44年)までは、河俣中学校を併設していました。
門柱の小学校の表札はナンテンの葉に隠れていますが、中学校の表札はハッキリ確認できました。
校門を入ってすぐの場所に、閉校記念碑が建てられています。
本体には校歌が刻まれます。
礎石は沿革碑になっています。
大正時代から昭和初期にかけての木造校舎です。
1961年(昭和36年)に建てられた、昭和中期の木造校舎です。
1986年(昭和61年)に新築された校舎が、現在残る校舎です。
現存する校舎
校舎は、校地に拡張性がないのもありますが、生徒数が多かったことを物語る3階建てです。
太陽光パネルで、1階が見えません。
校舎と太陽光パネルの間には、入ることができません。
玄関を見てみます。
3階建ての建物の風格にふさわしく、広々としていました。
反対側(東側)から見てみました。
太陽光発電所ができたことを除けば、閉校時の姿がそのまま残されています。
創立百周年記念碑
校地の東端に記念碑が並びます。
台座だけを残した碑は、表札も消え何を意図して建てられたものかわかりません。
台座の上に乗っていたであろう像は、バラバラです。
しっかり残るのは、創立百周年記念です。
碑文もしっかり読めます。
台座の豪華な記念品目録も、後世に継がれています。
体育館
体育館は運動場の西側です。
体育館が西日を遮る前に、太陽が山に沈みそうな谷深さです。
プール
河俣小学校のプールは、校地の西側です。
学校敷地とは少し離れた場所にある、飛び地に配置されています。
沿革
1873年(明治6年) | 河俣小学校として創立 |
1893年(明治20年) | 河俣尋常小学校へ改称 |
1922年(大正11年) | 河俣尋常高等小学校へ改称 |
1941年(昭和16年) | 河俣国民学校へ改称 |
1947年(昭和22年) | 河俣村立河俣小学校へ改称 |
1955年(昭和30年) | 東陽村立河俣小学校へ改称 |
2005年(平成17年) | 八代市立河俣小学校へ改称 |
2013年(平成25年) | 八代市立種山小学校と統合し八代市立東陽小学校を新設 閉校 |
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