内ノ木場(うちのこば)分校は、かつて熊本県八代市東陽町にあった、種山小学校(現在の東陽小学校)の分校です。
本校である種山小学校からは、地図上ではそう離れていませんが、標高差と道の狭さが距離を感じさせます。
東陽町小浦
内ノ木場分校へ行くには、熊本県道155号氷川八代線から、東陽町の山間に入ります。
周辺は森林の中に開かれた集落ですが、分校へ行くにはさらに山中へ入ります。
小浦地区から川俣へ抜ける峠道沿いに、内ノ木場分校への分岐路があります。
道中には、こんな山奥に学校があるのか半信半疑でした。
しかし、学校の敷地が見えたとたん風景が開けます。
道中の山林の景色から考えると、感動すら覚えます。
校内
内ノ木場分校は、体育館と広いとブールまで備えた一大施設です。
校舎は敷地を有効に使うため3階建てです。
全盛期には、多くの子供たちが通っていたことがうかがえます。
分校への道も狭かったのですが、駐車場もコンパクトです。
職員の駐車スペースは見当たりません。
まずは、モニュメントと創立百周年記念碑が出迎えてくれます。
しかし、駐車場の角を曲がると、校地が広がっています。
体育館と校舎は一体型です。
現在も、地域の集会施設や災害時の避難所として使われる現役施設です。
運動場とプール
教室の前には運動場が広がっています。
周囲にはサクラが植えてあり、開花時期には、地域の花見スポットとなりそうです。
運動場のさらに奥には、ブールが設置されます。
ブールは傾斜地ぎりぎりにありますが、規模は小さくありません。
興味深い学校遺構
山林の傾斜地に、これだけの土地を造成してあるのに驚きました。
分校とはいえ、遊具などもすべてそろっています。
山中の分校としては、類を見ない規模です。
以前は子供もたくさんいたし、通学手段が徒歩しかなかったので、教育環境が整備されたのでしょう。
そうした意味で、とても興味深い学校でした。
今後、国内の山村にこうした教育設備ができるかといえば、二度とできないといえます。
内ノ木場分校は、閉校が残念な学校のひとつです。
沿革
1915年(明治42年) | 小浦尋常小学校を廃止 種山尋常小学校内ノ木場分教場を設置 |
1941年(昭和16年) | 種山国民学校内ノ木場分校へ改称 |
1947年(昭和22年) | 種山村立種山小学校 内ノ木場分校へ改称 |
1955年 (昭和30年) | 東陽村立種山小学校内ノ木場分校へ改称 |
2005年(平成17年) | 八代市立種山小学校内ノ木場分校へ改称 |
2013年(平成25年) | 八代市立東陽小学校を新設統合 閉校 |
関連記事
【関連記事】遺構めぐりが楽しくなる本 いまそこにある建物の目的と背景