菊池神社

菊池神社 肥後国の有力武将・約450年間の領主・菊池氏をまつる

菊池神社は、熊本県菊池市にある神社です。

菊池神社

平安時代から室町時代まで、24代にわたり同地を治めた菊池氏一族をまつります。

第一鳥居

菊池神社 第一鳥居

菊池神社の参道は、ふるさと創生市民広場の北駐車場からはじまります。

菊池神社 参道の桜並木

第一鳥居から続く参道は、桜並木になっています。

菊池武光公騎馬像

ふるさと創生市民広場にあるのは、菊池氏第15代武光公の騎馬像になります。

子供たちにも大人気の菊池武光公
子供たちにも大人気の菊池武光公

菊池氏は住民からの崇敬があり、国家的見地からみても功労は厚いものです。

菊池神社 二の鳥居

菊池神社は、明治新政府から出された、菊池氏のための神社創建案を受け 1870 年(明治 3年)に創建しています。

菊池神社 表参道の石段

社地に選ばれたのは、菊池氏の居城だった菊池城跡でした。

菊池神社 参道の石灯籠

1878年(明治11年)には、別格官幣社に列しています。

菊池神社 手水舎

建武中興社

菊池神社 神門

南北朝時代の 九州で、南朝側の主力として戦ったのが菊池氏です。

菊池神社 ころう君とくまもん

南朝がとった「建武の中興」は、武家中心社会から天皇中心社会へ戻そうとしたものでした。

菊池神社 神門

徳川幕府倒幕から明治政府を樹立した明治維新は、建武の中興になぞらえられています。

菊池神社 境内

そのため明治時代になり、 建武の中興の功労が見直されています。

菊池神社 拝殿

菊池神社は建武中興15社のひとつとなっています。

菊池神社 拝殿

建武中興 15社に並ぶのは、九州では八代宮と菊池神社の2社です。

菊池神社 社殿

後醍醐天皇の皇子で征西将軍の懐良(かねよし)親王は、征西府を菊池に置かれ、11年間暮らされています。

菊池神社 境内

ご祭神

菊池神社 菊池一族プリント自動販売機

南北朝時代に菊池氏は、九州における南朝側の主軸として戦っています。

菊池神社 社殿

当時の菊池家当主親子を主祭神として、一族26柱を配祀しています。

菊池神社 本殿
  • 菊池武時 (第12代)
  • 菊池武重 (第13代)
  • 菊池武光 (第15代)
菊池神社 授与所

ご利益

菊池神社 社務所前の井戸

菊池神社は、戦前までは軍神をまつる神社として知られていました。

菊池神社 絵馬

現在はサクラやツツジの名所となり、市民や観光客が訪れます。

菊池神社 社務所
  • 縁結び
  • 家内安全
  • 交通安全
  • 武道成就
  • 学業成就
菊池神社

菊池武時公の騎馬像

菊池神社 菊池武時公の騎馬像

菊池武時は、菊池家第12代当主です。

菊池神社 菊池一族プリント自動販売機

鎌倉幕府の執権職である北条氏に反発し、後醍醐天皇についています。

菊池神社 菊池武時公の騎馬像

1333年、元弘の乱において戦死することとなります。

松尾敬宇中佐

菊池神社 松尾敬宇中佐胸像

松尾敬宇 (まつおよしたか)は、三玉村(現在の山鹿市)出身で、日本海軍の軍人です。

菊池神社 松尾敬宇中佐の説明板

先の大戦では、特殊潜航艇「甲標的」 の艇長でした。

菊池神社 松尾敬宇中佐胸像

シドニー湾攻撃で戦死しています。

摂末社

菊池神社 摂社の城山神社

菊池神社の境内摂末社です。

城山神社

菊池神社 摂社の城山神社
ご祭神菊池武房 (第10代)元寇で活躍した武将です
ご祭神菊池重朝 (第21代)文化教養面で功績を残しています
菊池神社 城山神社の扁額

稲荷神社

ご祭神倉稲魂神(うかのみたまのかみ)
菊池神社 末社の稲荷神社

生目神社

ご祭神生目神目の病気ご利益のある神さまです
菊池神社 末社の生目神社

場所 熊本県菊池市隈府 1257

菊池神社から見た菊池市内

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