菊池神社は、熊本県菊池市にある神社です。

平安時代から室町時代まで、24代にわたり同地を治めた菊池氏一族をまつります。
第一鳥居

菊池神社の参道は、ふるさと創生市民広場の北駐車場からはじまります。

第一鳥居から続く参道は、桜並木になっています。

ふるさと創生市民広場にあるのは、菊池氏第15代武光公の騎馬像になります。

菊池氏は住民からの崇敬があり、国家的見地からみても功労は厚いものです。

菊池神社は、明治新政府から出された、菊池氏のための神社創建案を受け 1870 年(明治 3年)に創建しています。

社地に選ばれたのは、菊池氏の居城だった菊池城跡でした。

1878年(明治11年)には、別格官幣社に列しています。

建武中興社

南北朝時代の 九州で、南朝側の主力として戦ったのが菊池氏です。

南朝がとった「建武の中興」は、武家中心社会から天皇中心社会へ戻そうとしたものでした。

徳川幕府倒幕から明治政府を樹立した明治維新は、建武の中興になぞらえられています。

そのため明治時代になり、 建武の中興の功労が見直されています。

菊池神社は建武中興15社のひとつとなっています。

建武中興 15社に並ぶのは、九州では八代宮と菊池神社の2社です。

後醍醐天皇の皇子で征西将軍の懐良(かねよし)親王は、征西府を菊池に置かれ、11年間暮らされています。

ご祭神

南北朝時代に菊池氏は、九州における南朝側の主軸として戦っています。

当時の菊池家当主親子を主祭神として、一族26柱を配祀しています。

- 菊池武時 (第12代)
- 菊池武重 (第13代)
- 菊池武光 (第15代)

ご利益

菊池神社は、戦前までは軍神をまつる神社として知られていました。

現在はサクラやツツジの名所となり、市民や観光客が訪れます。

- 縁結び
- 家内安全
- 交通安全
- 武道成就
- 学業成就

菊池武時公の騎馬像

菊池武時は、菊池家第12代当主です。

鎌倉幕府の執権職である北条氏に反発し、後醍醐天皇についています。

1333年、元弘の乱において戦死することとなります。
松尾敬宇中佐

松尾敬宇 (まつおよしたか)は、三玉村(現在の山鹿市)出身で、日本海軍の軍人です。

先の大戦では、特殊潜航艇「甲標的」 の艇長でした。

シドニー湾攻撃で戦死しています。
摂末社

菊池神社の境内摂末社です。
城山神社

ご祭神 | 菊池武房 (第10代) | 元寇で活躍した武将です |
ご祭神 | 菊池重朝 (第21代) | 文化教養面で功績を残しています |

稲荷神社
ご祭神 | 倉稲魂神(うかのみたまのかみ) |

生目神社
ご祭神 | 生目神 | 目の病気ご利益のある神さまです |


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