大石神社は、鹿児島県さつま町にある神社です。

祁答院の領主であった、島津歳久公の供養に端を発する神社となります。
金吾さぁ

大石神社のご祭神は、薩摩祁答院の領主だった2柱です。
- 島津金吾左衛門歳久公
- 渋谷祁答院 13 代良重公
島津歳久公は、日置島津家の祖・島津貴久公の三男になります。

戦国時代には、吉田城を居城に各地で武勲を挙げています。

のちに虎居城に入り、祁答院の領主となっています。

住民が幸せになる政治をし、「金吾さぁ」の愛称で領民から慕われています。

大石神社は、歳久公にちなみ「金吾さぁ」と親しみを込めてよばれています。

大石神社と称すのは、ご神体が約1.6mの大石であるためです。

一方の、祁答院良重公は、薩摩国北域を本拠とした澁谷氏の一派です。

島津氏の薩摩国統一に対し対峙した、祁答院氏最後の領主となります。

心岳寺参り

豊富秀吉の九州討伐で、歳久公は豊臣秀吉に反抗的だと見なされます。

島津氏の分断を目論む豊臣秀吉は、歳久公の兄・義久公に歳久公の討伐を命じています。

追い詰められた歳久公は、 重富付近で自害に追い込まれています。

義久公は歳久公の菩薩寺として心岳寺にお墓を建てています。

以降、命日の7月18日には歳久公を慕う人々が薩摩中から心岳時に集まるようになっています。

これを心岳寺参りといい、 廃仏毀釈で心岳寺が平松神社となった明治以降、大戦後まで続いていました。
平松神社は、鹿児島市吉野町にある神社です。 社地は心岳寺という寺院の跡になります。 心岳寺 心岳寺は、島津歳久公の菩薩寺として、兄の島津義久公が建てたものです。 […]
大石神社は 1592年、歳久公の没した後、間もなく創建したと考えられています。

古い文献には歳久石塔と記され、 御石神社がしだいに大石神社へと変化したものといわれます。

さらに社殿が建てられたのは幕末から明治初期といいます。

ご利益

大石神社は、武の神さま・安産の神さまとして崇敬されています。

妊婦が参拝のさい境内の石を持ち帰り、 無事出産した際には、もう一つ石を添えて返すという風習が続いています。

境内社

境内にある神社は、南方神社。島津氏領内でいう諏訪神社です。

ご祭神は、健御名方神(たけみなかたのかみ)となります。

嘉元の三重石塔

嘉元の三重石塔というのは、1304年(嘉元2年)に建てられた三重の塔です。

もともとは鶴田の大願寺にあったのですが、大村の龍成寺に移されていました。

大石神社のある中津川地区は、以前は大村(現在の薩摩川内市祁答院町) の飛び地でした。

1872年 (明治2年) の廃仏毀釈を経て、現在地へ移されています。


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