切小田の墓地近くの雑木林というのは、鹿児島県鹿屋市にある危険な心霊スポットです。
古代の隼人の首塚とされ、安易に立ち入る場所ではないと多くの方が忠告しています。
隼人とは?
墓地近くの雑木林を語るには、そもそも隼人(はやと)というのが何か知る必要があります。
隼人
隼人というのは、古代の大隅地方に住んでいた人々です。
古代の大隅地域は、九州の中でも最南の辺境地で、地理的にも孤立していました。
また、南方文化の影響から生活様式も異なっています。
さらに、言葉も通訳がいないと通じず、異民族的な扱いを受けています。
大和朝廷の律令制度は稲作を前提としていて、隼人には全く合いませんでした。
そのため、隼人たちは大和朝廷に大反発していました。
713年、大和朝廷は大隅半島を支配するため、日向国から大隅国を分離して建国します。
その後も隼人たちは、朝廷への不満からしばしば反乱を起こしていました。
隼人の反乱
720年、隼人の反乱は大規模になり、大隅国国司だった陽侯麻呂(やこのまろ)を殺害してしまいます。
これを受け朝廷は、征隼人将軍・大伴旅人(おおとものたびと)を送り込んでいます。
大伴旅人は、九州各地から1万人以上の兵を集め、隼人討伐にあたっています。
対して隼人側は数千人の兵が集まり、7ヶ所の城に立て籠もりました。
1年半近くにわたった戦いは、隼人側の敗北で終結しています。
隼人側の戦死者と捕虜は、合わせて1,400人だったと伝えられています。
薩摩隼人
朝廷に従属した後も、隼人たちの勇敢さがたたえられています。
そのため捕虜として京都へ連れていかれた隼人たちは、朝廷の警護をまかされたり、役人に登用されたりしています。
後世においても勇猛な隼人になぞられえ、薩摩藩士を薩摩隼人とよんだりしています。
本当にヤバイ場所
隼人の反乱では隼人軍勢の多くが、戦死または斬首されています。
墓地近くの雑木林はその首塚で、数百人もの隼人たちが埋葬されたといわれる場所です。
この付近では、首なしの霊や落武者の霊が目撃されています。
やっかいなのはその後で、霊に監視されるようにしつこく付きまとわれるといわれています。
墓の前の畑と畑の畦道を歩いてる途中、夜の闇より真っ黒い人影が呻き声をあげて近付いて来た。
逃げて家に帰ったが、その後が怖かった。
部屋に戻りさぁ寝ようと照明を消したその時、暗闇にさっきの人影二つ、呻き声、人影には目があった。
大隅半島の心霊スポットの中でも、安易に近寄るべきではないとされる、本当にヤバイ場所です。
鹿児島県最恐スポットといわれる開聞トンネルとはまた別次元の場所で、決して遊び半分で行くべきではないとされています。
地元の人は子供たちに「夜、絶対にあそこへは行くな」と代々語り継いでいるとのことです。
関連記事
【関連記事】開聞トンネル 採光窓から自然光が差し込む不思議な魅力のスポット
【関連記事】小串トンネル 子供たちが楽しく遊び笑う肝付町の心霊スポット