幸田の棚田碑

幸田の棚田 国見岳山麓に広がる水田のお城と落武者伝説

幸田の棚田というのは、鹿児島県湧水町にある有名な棚田です。

幸田の棚田

国見岳山麓に広がる谷あいに、みごとな石垣の棚田が広がっています。

日本の棚田百選

幸田の棚田 駐車場

幸田の棚田が完成した年代は明らかになっていませんが、今ある石垣が組まれたのは江戸時代のはじめといわれています。

幸田の棚田

石垣は城郭を造っていた、串木野や加世田の石工によって築かれています。

幸田の棚田

反りのある石垣は、 「水田のお城」 といわれるほどです。

幸田の棚田

日本の棚田百選に選ばれています。

幸田の棚田 説明板

棚田米

幸田の棚田碑

幸田地区に山沿いは寒暖差が激しく、国見岳からの湧水は清らかな冷水です。

幸田の棚田碑 裏面

幸田の棚田で作られるコメは、 粘りと光沢のあるヒノヒカリで、 棚田米ブランドで出荷されます。

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名水百選・棚田百選の郷から生まれた逸品!鹿児島県幸田鉄山棚田米のご紹介と販売をしております。白米・玄米・無洗米のご購入は…

脱藩者集落

幸田の棚田

平安時代の終わりから戦国時代、人里離れた幸田の山間は、 戦いで敗れた敵兵や脱藩者の隠れ家となっていました。

幸田の棚田

その数は数百人ともいわれ、集落を形成していたといいます。

幸田の棚田

ある時、島津藩に知られることとなり、現地調査が行われました。

幸田の棚田 石垣

しかし、領外のものが藩に隠れて農作物を栽培したり、収入を得たりするのは違法です。

幸田の棚田 東屋

全財産を没収されるどころか、厳しい処罰が待っています。

幸田の棚田 隣の小川

そこで集落の住民たちは、調査に入る島津藩の役人と兵士を迎え撃つことにしました。

幸田の棚田 東屋

幸田の伝説

幸田の棚田

住民とはいえ、もともとは武士であり奇襲攻撃をかけたため、 島津藩の家老と兵士 200 名は全滅してしまいました。

幸田の棚田

怒った島津藩は、掃討作戦のため大軍を投入することになります。

幸田の棚田

幸田に入った島津軍ですが、 集落には誰1人残っていません。

幸田の棚田

周辺を捜索すると100体を越える遺体が横たわっていたといいます。

幸田の棚田 林道

すべての遺体には頭がなく、首から下の体だけになっていました。

幸田頭林道

幸田の棚田は、島津兵200人と住民100人を供養するために築かれたと伝えられています。

幸田地区棚田地域等緊急保全対策事業の看板

場所 鹿児島県姶良郡湧水町幸田2094

幸田頭の棚田のPR看板

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