国見分校は、かつて旧栗野町(現在の湧水町)にあった、幸田(こうだ)小学校の分校です。
![幸田小学校国見分校跡碑](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
国見分校を語るには、同時に国見集落を語らずにはいられません。
国見金山
![鹿児島県湧水町 国見集落](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
旧横川町からさつま町にかけては、山ケ野金山と永野金山が栄えたことで知られます。
![国見金山跡の看板](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
山ケ野金山や永野金山から、さらに山奥にあった鉱脈が国見金山です。
![国見集落 防火水槽の表示板](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
国見金山は、現在でいうと湧水町の町域になります。
![国見集落の電柱](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
1642年に幕府から採鉱が許可されています。
![国見集落の残る住居跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
しかし、その年に突然休止命令がでて開発が中断されています。
![国見集落 上水道のパイプ](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
1656年に開発を再開し、2~3年後から本格的に採鉱がはじまりました。
![国見集落 残された自転車](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
国見金山に住んだのは、豊後国(現在の大分県)から招かれた技術者たちでした。
![国見集落 住居跡の石垣](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
金山開発が中断された13年間に、石垣を築き、集落を形成して採鉱に備えたと推測されています。
![幸田の棚田](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
幸田の棚田もこの13年の間に拓かれたものと考えられています。
![国見集落 住宅の五右衛門ぶろ跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
国見集落
![国見集落 T字路](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
幸田から峠を下ると、永野に下る道と国見川を登る分岐に差し掛かります。
![国見集落 T字路](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
このT字路が国見集落の中心地です。
![国見集落 住居跡の石垣](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
1916年(大正5年)に、近代化のため採鉱は永野金山に集約され、国見金山は閉鎖されました。
![国見集落 国見金山の看板](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
このとき、国見集落には30数戸の住宅があり、閉山後も集落は維持されてきました。
![国見集落 残された住宅](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
しかし、高度成長期になると、山間の小集落を過疎化の波が襲います。
![国見集落 残された住宅](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
平成時代には超限界集落となっています。
![国見集落 倒壊した住宅](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
現在はお住まいの方は1人もいない、いわゆる廃村です。
![国見集落 最後の住人がいた住宅](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
まだ住めそうな住宅が1軒だけ残っています。
![国見集落 最後まで住人がいた住宅](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
実は2010年代まで、1世帯だけ住民がいらっしゃいました。
![国見集落 最後まで住人がいた住宅](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
しかし、拝見した感じでは、もう数年はお留守のようです。
![国見集落 住宅の屋根と柿の木](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
国見小学校
![幸田小学校国見分校の擁壁](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
国見小学校があったのは、集落の中心のT字路から少し北寄りの高台です。
![幸田小学校国見分校跡のぼり口](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
道沿いの上り口に標柱が建てられているので、一目瞭然です。
![幸田小学校国見分校跡のぼり口](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
もともとは、独立した小学校だったのですが児童数の減少に伴い、1956年(昭和31年)に幸田小学校の分校となりました。
![幸田小学校国見分校跡の石垣](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
さらに、1969年(昭和44年)には廃校となっています。
![幸田小学校国見分校 校舎の瓦](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
校舎の名残りが、礎石と積まれた瓦に見られます。
![幸田小学校国見分校 校門](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
校門は、現在の上り口とは反対側です。
![幸田小学校国見分校 通学路の山道](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
当時は、この山道が通学路でした。
![幸田小学校国見分校 通学路のコンクリート階段](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
よく見ると通学路の階段はコンクリート製です。
![幸田小学校国見分校 閉校記念碑](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
そして校地には、閉校記念碑が建てられています。
![幸田小学校国見分校 沿革史](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
記念碑には国見分校の沿革史が刻まれます。
![幸田小学校国見分校 閉校記念碑の碑文](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
側面には工事費の負担金額が書いてあります。
![幸田小学校国見分校 閉校記念碑 昭和44年3月18日建立 工事費 町5万円 国見校区3万円](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
「町5万円、国見校区3万円」
![幸田小学校国見分校跡からさらに山奥の道](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
学校跡地から山の方に道が開けているので、山に入ってみました。
![幸田小学校国見分校 滑車のついた木材は遊具の跡?](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
滑車のついた木材は、遊具のものでしょうか?
![幸田小学校国見分校 奥の建物基礎](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
奥には建物の基礎があるので、学校関係の建物だったと考えられます。
![幸田小学校国見分校 奥の建物基礎](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
住宅みたいなので、職員住宅か宿直室といったところでしょう。
![幸田小学校国見分校 奥の石碑](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
さらにその奥に石碑があります。
![幸田小学校国見分校 奥の石碑 碑文は読めない](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
しかし、碑文は永年の浸食で消えかかり、読むことができませんでした。
![幸田小学校国見分校 ピンクテープ](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
ピンクテープがあるので、この先にも何かあるのでしょうが、登山の準備はしていません。
![幸田小学校国見分校 ピンクテープ](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
これ以上、奥に入るのは断念しました。
![幸田小学校国見分校 校舎の礎石](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
金山遺構
![国見集落 国見川沿いの上り口](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
集落に戻り、国見川沿いを見てみます。
![国見集落 国見川沿い荒れたコンクリート舗装](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
国見川が氾濫したのか、かなり荒れています。
![国見集落 集会所跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
集会所があった場所ですが、建物はきれいに解体され更地になっています。
![国見集落 集会所跡の更地](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
廃村後も、人の手が入っている証拠です。
![国見集落 住居跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
さらに奥に進むと住居跡があります。
![国見集落 端山神社(山の神)入口の標柱](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
この先は山道になっています。
![国見集落から国見金山への上り口](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
金山遺構はこの先なのでしょうが、登山の準備はしていません。
![国見集落 集落より奥の建造物の写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
坑口などの建造物が残っているので、行ってみようとも思いましたが・・・
![国見集落 国見川上流の住居石垣](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
ここで引き返します。
![国見集落 集落の国見川下流部](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
次はT字路から永野の方へ下ってみます。
![国見集落 集落の国見川下流部の住居跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
住居跡らしき場所はありますが、建物はすでにありません。
![国見集落 国見川沿いを永野へ下る道](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
国見川沿いを下る道は、あまり使われていない様子で、車で通るのはやめました。
![土石流危険渓流 川内川水系国見川の看板](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
沿革
![幸田小学校国見分校の門柱](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
1891年(明治24年) | 寺小屋式夜学校創立 |
1901年(明治34年) | 国見尋常小学校となる |
1941年(昭和16年) | 国見国民学校へ改称 |
1947年(昭和22年) | 栗野町立国見小学校へ改称 |
1956年(昭和31年) | 栗野町立幸田小学校国見分校となる |
1969年(昭和44年) | 栗野町立幸田小学校と統合し閉校 |
![幸田小学校国見分校の門柱](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
場所 鹿児島県姶良郡湧水町幸田
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