神瀬小学校跡 旧神瀬村最後の学校

神瀬(こうのせ)小学校は、熊本県球磨郡球磨村大字神瀬にあった村立小学校です。

現在は、「神瀬福祉センターたかおと」として利用されています。

神瀬地区と高音地区

熊本県球磨郡球磨村は、1954年(昭和29年)に、3村が合併し新設された村です。

最も東側にあった渡村、中間の一勝地村、そして最も西にあったのが神瀬村でした。

旧、神瀬村の区域を神瀬地区と呼んでいます。

神瀬小学校は、川内川と球磨川の合流点近くに位置します。

この辺を高音(たかおと)と呼ぶようです。

高音地区は、昔から、再三増水による浸水被害を受けてきました。

地区全体をかさ上げする工事が、長い間行われています。

神瀬小学校の運動場のかさ上げが終わっていました。

神瀬小学校

1874年(明治7年)創立の永い歴史を持つ小学校でした。

1955年(昭和30年)、3村合併後の球磨村の人口は12,833人でした。

2014年(平成25年)には、3,874人まで減少しています。

山林の多い球磨村では、林業が主産業となります。

農地は傾斜地に切り開いた棚田や、山林を活かした果樹などが中心となります。

しかし、地形から農地も制約され、大規模化しにくのが実情です。

主産業の斜陽化により、人口はこの60年の間に3分の1になっていましまいました。

高齢化率の上昇も考慮すると、小学生数は3分の1以上に減少しているはずです。

当然、小学校も統合を繰り返しています。

2010年(平成21年)村内小学校の統合で、一勝地小学校と渡小学校の2校体制となりました。

旧神瀬村の小学校が、ひとつもなくなってしまいました。

沿革

1874年(明治7年)假屋(かりや)小学校として創立
1880年(明治13年)高音(たかおと)小学校へ改称
1885年(明治18年)高沢分教場を設置
1889年(明治22年)高音尋常小学校へ改称
1892年(明治25年)高沢分教場が独立
1893年(明治26年)現在地へ移転
1901年(明治34年)高音尋常小学校へ改称
1904年(明治37年)川島分教場を設置
1908年(明治41年)大槻分教場を設置
1913年(大正2年)大槻分教場を高沢尋常小学校へ移管
1915年(大正4年)多武除(たぶのき)分教場を設置
1926年(大正15年)神瀬(こうのせ)尋常小学校へ改称
1941年(昭和16年)神瀬国民学校へ改称
1947年(昭和22年)神瀬村立神瀬小学校へ改称
1954年(昭和29年)球磨村立神瀬小学校へ改称
1955年(昭和30年)芦北町白石地区児童を受託
1956年(昭和31年)多武除分校を統合
1964年(昭和39年)大瀬小学校を統合
1974年(昭和49年)創立100周年
1978年(昭和53年)坂本村楮木(かじき)地区児童を受託
2004年(平成16年)川島分校、高沢小学校を統合
2010年(平成21年)一勝地小学校へ統合、閉校

場所  熊本県球磨郡球磨村神瀬乙25

関連記事

【人気記事】解体間近?南九州の今見ておくべき閉校校舎5選

【人気記事】熊本県南部の美しい閉校木造校舎7選

【人気記事】ドラマや映画の撮影に使われた南九州のスポット

【関連記事】遺構探訪関連記事 まとめ

【関連記事】遺構めぐりが楽しくなる本 いまそこにある建物の目的と背景