薩摩川内市立倉野小学校は、かつて鹿児島県薩摩川内市にあった公立小学校です。
旧樋脇町の北部を校区としていましたが、2010年 (平成22年)に樋脇小学校と統合しています。
倉野地区
倉野地区は、旧樋脇町の北部で川内川中流域の南岸に位置します。
北岸の東郷町南瀬(のうぜ)とは、1964年(昭和39年) に倉野橋ができるまでは、渡し船で往来していました。
倉野は古代から、川内川を利用した水運の要地でした。
かつて薩摩国の国府が置かれた川内との間に、水運交通があったといわれています。
江戸時代以降は樋脇郷倉野村となり、米作りが盛んでした。
1989年(明治22年)の町村制施行で樋脇村となっています。
1904 年 (昭和15年)、町制施行を経て樋脇町となり、2004年(平成16)年に平成の大合併で薩摩川内市になっています。
2010年 (平成22年)閉校
倉野小学校にはピーク時にはたくさんの子供たちが通っていました。
しかし、晩年は過疎化と少子化で小規模校となっています。
最終年度となる 2009 年 (平成21年) の全校生徒数は11名でした。
現役の小学校?
倉野小学校は、現役時の姿がほぼ残ります。
門柱の表札はもちろん・・・
校舎もそのままです。
そして、校庭や花木管理の徹底ぶりは、現役の小学校と何も変わりません。
地域の方が、毎日のように利用されていることと、手入れされていることがうかがえます。
そして何よりも、愛されているのでしょう。
百十年の碑
ほとんどの小学校では、百周年のさいに記念碑を建てます。
ごくまれに、50周年や70周年などの記念碑を見ることはあります。
倉野小学校にあるのは、百十年の碑です。
その理由は、碑文をよんでもわかりませんでした。
閉校記念碑
現役小学校とも見える校内ですが、閉校記念碑があるということは、やはり閉校しています。
「ここから日本の夜があける」壮大な校歌です。
沿革
1876年(明治9年) | 寺小屋として創立 |
1887年(明治20年) | 小学校令により倉野小学校となる |
1892年(明治25年) | 倉野尋常小学校へ改称 |
1941年 (昭和16年) | 倉野国民学校へ改称 |
1947年 (昭和22年) | 樋脇町立倉野小学校へ改称 |
2004年 (平成16年) | 薩摩川内市立倉野小学校へ改称 |
2010年 (平成22年) | 薩摩川内市立樋脇小学校へ統合し閉校 |
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