黒石原(くろいしばる)飛行場は、かつて熊本県合志村(現在の合志市)にあった、日本陸軍の飛行場です。
現在の陸上自衛隊黒石原演習場あたりのことで、戦中には周辺に軍施設が集積していました。
熊本地方航空機乗員養成場
黒石原には、明治時代から陸軍の演習場がありました。
黒石原飛行場は、もともとは1938年 (昭和13年) に逓信省の養成所として造られています。
1941年(昭和16年)には、熊本地方航空機乗員養成場という、郵便物を運ぶ航空機乗員を養成する施設になっています。
当時の逓信省航空局は、陸軍省から民間航空業務を移管したものでした。
一大軍事施設
1944年 (昭和19年)になると、陸軍が接収し、黒石原陸軍飛行場とし拡張されています。
陸軍接収後は、太刀洗陸軍飛行学校黒石原教育隊が使用していました。
1945年 (昭和20年)には、第30戦闘飛行集団の中継飛行場として使われています。
黒石原の一角には、九州らい病療養所があったことでも知られています。
さらには、傷痍軍人療養所再春荘も建てられ、陸軍施設が集中していました。
九州らい病療養所は、のちに国立療養所菊池恵楓園となっています。
奉安殿
奉安殿(たいあんでん)というのは、天皇陛下のご真影や教育勅語などを保管する建物です。
戦前の教育機関ではよく見かけられました。
黒石原飛行場の奉安殿は、現在まで残る唯一の遺構です。
実は、通信省の乗員養成所時代に建てられ、黒石原飛行場の敷地内にあったものです。
現役時は壁に大理石が貼られていました。
空爆
1945年(昭和20年)5月13日 黒石原飛行場周辺は米軍の爆撃を受けています。
飛行場は壊滅状態となり、らい病療養所の患者2名、再春荘の医療関係者6名、民家で2名がなくなっています。
終戦後は米軍に接収されていましたが、1958年 (昭和33年) に返還され、現在は農地や住宅地になっています。
黒石原演習場
黒石原飛行場の跡地の一部は、陸上自衛隊北熊本駐屯地の演習場として使われています。
もちろん、関係者以外は入ることができませんし、周囲にはフェンスが建ち中の様子をうかがい知ることもできません。
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