協和中学校は、かつて鹿児島県垂水市にあった公立中学校です。
2010年(平成22年)に、垂水中央中学校へ統合し閉校となっています。
中俣と海潟
垂水市の協和地区というのは、明治以前の中俣村と海潟(かいがた)村のことになります。
住所に協和という表記が使われたことは、過去も含めてありません。
1889年(昭和22年)の町村制施行の時には、両村ともに垂水村になっています。
中俣と海潟は、地理的にも歴史的にも結び付が強かったのでしょう。
明治時代から、両方を合わせて協和地区とよぶのが定着していました。
協和地区の学校
小学校は設立当初こそ、中俣と海潟双方に学舎がありました。
1878年(明治11年)には、早々と良校を統合して協和小学校を創立しています。
昭和の初めごろ、市は協和小学校と垂水小学校との統合を検討していました。
しかし、協和地区から猛反対により存続したのだとか。
協和小学校は現在も現役のままです。
協和中学校は、戦後の学制改革により協和小学校に隣接して開設されています。
ピークの1954年(昭和29年)には、503 名の生徒を抱えました。
現在地に移転したのは、1964年(昭和39年)です。
旧校舎は、国道 220 号線沿いの菅原神社のとなりにあり、現在は記念碑が建っています。
垂水市内の中学校を1校に統合
2010年(平成22年)には、一市一中学とするために、垂水中央中学校を新設しました。
市内全5校を統合し、5校が閉校となりました。
2010年閉校の垂水市立中学校
- 垂水中学校
- 垂水南中学校
- 牛根中学校
- 協和中学校
- 大野中学校
閉校時の協和中学校の生徒数は69名でした。
最近プール跡の横に、白い物体が置かれています。
コンテナ型データセンターといい、おそらくサーバーがなんかが置いてあるのでしょう。
沿革
1947年(昭和22年) | 垂水市立垂水中学校協和分校として創立 |
1949年(昭和24年) | 垂水市立協和中学校として独立 |
1963年(昭和38年) | 3年生が新校舎へ移転 |
1964年(昭和39年) | 新校舎へ完全移転 |
2010年(平成22年) | 垂水市立垂水中央中学校を新設 市内5中学校を統合したため閉校 |
場所 鹿児島県垂水市中俣302
関連記事
【関連記事】遺構めぐりが楽しくなる本 いまそこにある建物の目的と背景