めがね橋というは、宮崎県えびの市にある、月の木川橋の通称です。
木材搬出用のトロッコ軌道のために架けられています。
めがね橋ではない?
めがね橋は三連アーチなので、めがね橋ではないといわれることもあります。
三つ目のめがね橋という人もいます。
中島川にかかる月の木川橋といい覚えにくいため、通称でめがね橋とよぶのが一般的です。
トロッコ軌道
当時全国の山々では、重い木材を効率よく運ぶために、トロッコ軌道が使われました。
大平官行から飯野駅までの、総延長30kmに及ぶトロッコ軌道が、森林鉄道飯野線です。
月の木川橋はトロッコ軌道を通すための橋梁です。
大平官行は熊本県側にあるため、熊本営林局の発注です。
石橋というと肥後の石工をイメージしますが、月の木川橋を手掛けたのは鹿児島串木野の石工・肥田佐兵衛です。
スペック
長さ | 58.2m |
幅 | 2.4m |
高さ | 17.2m |
竣工 | 1928年 (昭和3年) |
発注者 | 熊本営林局 |
現在は、歩いて渡ることができますが、欄干の低さにびっくりします。
森林軌道廃線後は、自動車も通っていたというのにさらに驚きます。
官行造林
官行造林というのは、公有林または民有林に国費で造林する事業です。
土地所有者と国で収益を折半する契約をするため、植付け後は分収林とよんだりします。
森林所有者は投資することなく造林ができ、国としては国策として森林形成と森林経営ができる、 今でいえば win-win な事業です。
さらに、官行造林には人手がいるため、雇用も生まれます。
通勤できない山奥が多いため、拠点には官行集落が形成されていました。
森林開発公団を経て、緑資源公団・緑資源機構と形を変え、現在は森林整備センターとして分収林事業は継続しています。
しかし、山奥に集落ができるケースは、以下のような理由からほぼなくなっています。
- 原木伐採自体が機械化され、少人数しかも短期間できるようになった
- 林道整備と自動車性能向上により、周辺の町から通勤できるようになった
大平官行
あまり知られていませんが、川内川の水源はクルソン狭の山深く、熊本県になります。
この地域では、かつて官行造林事業が行われています。
大平山 (1,120m)の麓にあるため、大平官行とよばれています。
川内川のある木面谷のほか、又五郎谷・陀来水谷・八ヶ峯川などに森林軌道の分線・支線が敷かれています。
当時、熊本県側へ行くには林道が開通しておらず、温迫峠 (925m) を歩いて越える必要がありました。
川内川の上流域は地理的には熊本県ですが、物理的・距離的には、宮崎県との結びつきが強い地域です。
林道榎田大川筋線
森林軌道跡をたどるため、川内川沿いを少し進んでみます。
クルソン峡へ向かう大川筋線林道こそが、森林鉄道飯野線のトロッコ軌道跡です。
ほどなく、路肩崩落のため通行止めになっていました。
ならば、熊本県側から行こうと榎田林道を進みます。
熊本県側は温迫峠までは舗装されています。
しかし、峠まであと少しというところで、氷に阻まれていました。
川内川の上流域は、今なお簡単に近づける場所ではないことがわかりました。
飯野駅
大平官行で伐採された木は、トロッコ軌道により飯野駅の貯木場に集められました。
1912年(大正元年) 開業当時の飯野駅は宮崎線の駅でしたが、 延伸に伴い宮崎本線・日豊本線と名前を変え、1932年 (昭和7年) に吉都線となっています。
1961年 (昭和36年) に森林軌道飯野線は廃止され、トラック輸送に変更されています。
1990年 (平成2年) に、えびの飯野駅に改称されています。
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