神門神社 西の正倉院と南郷神門に伝わる百済王伝説

神門(みかど)神社は、宮崎県美郷町にある神社です。

神門神社

神門はかつて百済(くだら)の王族が、漂着後に住んだ地といわれ、 ご祭神となっています。

ご祭神

神門神社
  • 大山祇神(おおやまつみのかみ)
  • 百済禎嘉王(くだらていかおう)
  • 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
  • 品陀別命(ほんだわけのみこと)
神門神社 社殿

百済との関係

神門神社 鳥居

神門神社は、718年創建と伝わります。

神門神社 猿田彦命の碑

百済というのは、朝鮮半島の南西部にあった王国です。

神門神社 国道388号線沿いの鳥居

660 年に高句麗と新羅の侵攻により滅亡しています。

宮崎交通 百済の館前 バス停

百済の王族の一部は政争を避けて、故郷にとどまっていました。

神門神社 参道石段の鳥居

新羅の時代になり、大災害で人々が飢えたために、帰化を望み多くの船が日本にやってきました。

西の正倉院管理棟

百済の王族・禎嘉王とその子、福智王・華智王は、渡航中に離れ離れになってしまいました。

神門神社 手水舎

しかし、756年に、3人とも日向に漂着しています。

神門神社内宮

百済の復活を恐れる新羅は、追っ手を日本に送り込んでいて、華智王は新羅の追っ手に殺害されています。

神門神社 拝殿

難を逃れた後、禎嘉王は神門に住み、福智王は木城に落ち着いています。

神門神社 ご神木

2人は同地で崇敬されました。

神門神社 ご神木

死後に、禎嘉王は神門神社に、福智王は比木神社にまつられています。

西の正倉院・百済の館入場料案内板
関連記事

比木神社は、宮崎県児湯郡木城町にある神社です。 昔も今も、児湯地域東部住民の守護神です。 社記 創建は成務天皇在位のころ、時代でいえば古墳時代になります。 […]

比木神社 拝殿

西の正倉院

本家の東大寺正倉院
本家の東大寺正倉院

正倉院(しょうそういん)というのは、東大寺の宝物を納める奈良県の正倉院のことです。

西の正倉院

西の正倉院は、門外不出だった奈良の正倉院の原図をもとにして、忠実に再現されたものです。

西の正倉院 内部

神門神社の宝物が収蔵されるほか、師走祭りの資料が展示されています。

西の正倉院

師走祭り

師走祭りの説明板

師走祭りは、神門神社で 1300年以上も続けられる例祭です。

師走祭りのようす

比木神社から父を訪ねてきた、福智王子の一行を再現しています。

師走祭りの行列

百済の館

百済の館

百済の館は、百済最後の王都・扶餘(ぷよ)の王宮跡に建っている、元国立扶餘博物館の客舎をモデルとしたものです。

百済の館 内部

中には百済時代の国宝のレプリカや、民族衣装などが展示されています。

百済の館

場所 宮崎県東臼杵郡美郷町南郷神門本村

宮崎県三郷町 西の正倉院

関連記事

【関連記事】比木神社 百済福智王伝説が伝わる高鍋藩秋月家の氏神

【関連記事】日向国神名帳令和版 神話の里・宮崎の神社一覧表