宮本武蔵の遺骨は分骨され日本各地にありますが、この記事は熊本市北区にある、宮本武蔵の墓について書いています。

宮本武蔵が生涯を終えた地は熊本であり、本来の墓所であるとされています。
武蔵塚

宮本武蔵は57歳の時、島原の乱に参戦したあと、当時の肥後藩主・細川忠利公に招かれ、晩年を熊本で過ごしています。

宮本武蔵は、死後も参勤交代で江戸へ向かう藩主を見守りたいとの遺言を残していました。

そこで、61歳で生涯を終えると、豊後街道沿いに墓が建てられました。

豊後街道は、江戸時代が終わるまで、肥後藩主が100回も大名行列を連ねた往還です。

現在でいうと熊本県道337 号熊本菊陽線ですが、 1994年 (平成6年)に菊陽バイパスができるまでは、熊本市 (旧肥後国)と大分市(旧豊後国)を結ぶ国道57号線でした。

宮本武蔵の墓は、武蔵塚公園として整備されています。

あたりの地名・武蔵塚も宮本武蔵の墓に由来しています。

伝説の剣豪

宮本武蔵は、いわずと知れた剣の達人です。

剣の勝負では一度も負けたことがなく、京都での吉岡一門との決闘や、巌流島での佐々木小次郎との決戦は現在も語り継がれています。

バカボンドという、宮本武蔵を題材にしたマンガが大ヒットしているので、世代を超えてファンも多いはずです。

バカボンドは、吉川栄治さんの小説「宮本武蔵」を、井上雄彦(いのうえたけひこ)さんがマンガ化したものです。

井上雄彦(いのうえたけひこ)さんは、スラムダンクの作者として有名です。

出身地はなんと、鹿児島県大口市(現在の伊佐市)です。

ちなみにバカボンドとは、ラテン語で「放浪者」を意味します。
宮本武蔵の銅像

武蔵塚公園の一角に、宮本武蔵の銅像が立ちます。

大小2つの刀を使う、二天一流の創始者です。

金峰山の霊厳洞で、剣の奥義をまとめた「五輪書」を完成させています。

銅像は五法の形のうち、下段の構えをとっています。


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