名越谷(なごしだに)小学校は、かつて熊本県上益城郡砥用町(現在の美里町)にあった公立小学校です。
現在、校舎は解体され、名越谷公民館が建てられています。
名越谷地区
名越谷へ行くには、国道218号線を、佐俣から砥用小学校方面へ向かいます。
新馬門橋の坂を上り、すぐ左折すると、熊本県道321号囲砥用線です。
ほどなくして、最初に行きつく集落が名越谷です。
名越谷小学校跡を見ると、一見して小学校跡という雰囲気があります。
ただし、建物がピカピカなので、閉校後に公共施設が建てられたことがすぐ理解できます。
石碑群
砥用は石橋の町なので、記念碑の石材も立派です。
身長ほどある門柱には、名越谷公民館の表札がかけられています。
創立百周年金碑です。
校門まわりにはたくさんの石碑群が置かれています。
プール
プールは水をたたえたままです。
シャワーも現役時のままです。
体育館
体育館は重厚な造りです。
ただの「かまぼこ屋根」ではありません。
屋根の端の「はね上げ感」が、たまらなくおシャレです。
運動場
運動場も現役施設です。
行き届いた手入れと、適度な使用感が、毎日のように使われていることを物語ります。
校舎跡
1976年(昭和51年)の航空写真では、校地の北東側に校舎があったのがわかります。
2016年(平成28年)の航空写真を見ると、まだ校舎が残っています。
現地へ行くと、現在は校舎が解体されていることがわかります。
跡地に公民館が建てられていますが、校舎に比べると小さな建物です。
したがって、校舎跡は大部分が更地です。
沿革
1872年(明治5年) | 盆放舎として創立 |
1874年(明治7年) | 名越谷小学校と称するようになる |
1888年(明治21年) | 鶴永小学校三渓支校となる |
1892年(明治25年) | 名越谷尋常小学校へ改称 |
1923年(大正12年) | 現在地へ移転 |
1941年(昭和16年) | 名越谷国民学校へ改称 |
1947年(昭和22年) | 砥用町立名越谷小学校へ改称 |
1982年(昭和57年) | 砥用町立砥用小学校へ統合 閉校 |
関連記事
【関連記事】豊富小学校 筒川流域に残される学校跡と昭和時代の講堂
【関連記事】美里町石橋群 自然に溶け込み調和した100年以上前の職人技
【関連記事】遺構めぐりが楽しくなる本 いまそこにある建物の目的と背景