熊本県は、全国でもアーチ式石橋が多いことで知られています。
なんと、全国のアーチ式石橋うち、96%が九州にあるといわれています。
![二俣渡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
しかも、その約半数が熊本県内にあるのです。
なかでも、多くの石橋が集中しているのが緑川流域です。
肥後の石工
肥後国の石橋を語るとき、種山石工を避けて通れません。
![大窪橋](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
種山石工というのは、江戸時代後期から明治時代初期にかけて活躍した、石工集団です。
![八代市東陽町の鹿路橋(ろくろばし)](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
石工の職人の町があったのは、種山村(現在の八代市東陽町)です。
![八代市東陽町の笠松橋](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
東陽町には多くの石橋が残っています。
![霊台橋(れいだいきょう)](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
地理的にも近い、緑川の流域にも負けず劣らず、種山石工の作品が現存しています。
![霊台橋(れいだいきょう)](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
なぜ、熊本県、特に県央地域に石橋が多いのか調べてみました。
熊本城の築城
熊本城を築城する際に、仁平といって近江国(現在の滋賀県)から近江石工の職人を肥後国に呼び寄せています。
![津留川](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
その技術を継承したのが、種山石工といわれています。
熊本城の完成後も、棚田や用水路をつくるのに石工が必要でした。
![二俣福良渡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
海岸に行くと、干拓や堤防工事にも石工が活躍しています。
熊本には、石工の伝統と技術を伝えていく環境がありました。
豊富な原材料
このあたりには、阿蘇山から噴出した、溶結凝灰石がたくさんありました。
溶結凝灰岩は、火山噴出物が再溶融してできたもので、密度が高い岩石です。
![二俣橋](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
雨水や水流などによる浸食を受けにくい特徴があります。
さらに、加工がしやすく石工が工作物をつくるのに適していました。
雨の多い九州
従来の木橋は、毎年洪水や台風のたびに流されていました。
再び橋を架ける間、農民は農地へ行けず、商人は商売ができずに困っていました。
![霊台橋上流の船津ダム](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
そのため、洪水がおきても流されない橋が強く望まれていました。
流されない橋をつくるために、総庄屋は私財を投じ、住民は石工とともに働いたといいます。
![霊台橋](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
石橋をつくるために住民の協力があったことも、石橋が多い一因となったといわれます。
石橋の里
美里町には43基もの石橋が残っています。
![美里町石橋マップ](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
なかでも多くの石橋が現存する、旧砥用(ともち)町の石橋のうち主なものを見てきましたので記事にします。
![大窪橋近くの水田とヒガンバナ](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
砥用町の国道218号線沿いを、下流から上流へのぼってみました。
小筵橋
![小筵橋(こむしろばし)](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
小筵橋(こむしろばし)は、小筵交差点から旧中央町方向へ少し入ったところにある石橋です。
![小筵橋(こむしろばし)](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
かけられた年は、記録がなく明らかになっていません。
![小筵橋(こむしろばし)](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
今でこそ小道にかかる橋ですが、釈迦院へ向かう生活道路として重要な役割を、永年果たしてきました。
![小筵橋(こむしろばし)](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
場所 熊本県下益城郡美里町小筵
二俣橋
釈迦院川と津留川の合流点にかかる双子橋です。
![二俣橋](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
L形に連なる2つの橋を合わせて、二俣橋(ふたまたばし)といいます。
![二俣橋 二俣渡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
釈迦院川にかかるほうを「二俣渡」、津留川のほうを「二俣福良渡」とよんでいます。
![二俣橋 二俣福良渡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
二俣渡が 1829年、二俣福良渡が 1830年に完成しています。
恋人の聖地
二俣橋は最近、恋人の聖地として人気スポットになっています。
![恋人の聖地](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
二俣福良渡の中央あたりから二俣渡をみると、川面に映る橋のシルエットがハート型になるそうです。
![美里町 恋人の聖地
ハートのシルエット](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
「車道と並んでいる橋のほうから、車道のない橋のほうを見る」
![車道のある二俣橋福良渡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
と覚えておけばいいかもしれません。
![車道のない二俣渡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
ただし、ハート形のシルエットを見るには、気象条件があります。
期間 | 10月~2月 |
時間 | 11時30分ごろから12時30分ごろ |
天気 | 晴れ |
きれいなハート形ができる時間は、数十分程度です。
また、時期によって時間帯は変わります。
![恋人の聖地の鐘](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
真冬のよく晴れて、濃い影ができる日がベストといわれています。
場所 熊本県下益城郡美里町小筵
年祢橋
![年称橋(としねばし)](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
年称橋(としねばし)は、二俣橋から釈迦院川の上流方向にかかる高く大きな橋です。
![年称橋(としねばし)](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
1924年(大正13年)にかけられた、石橋の中では新しい橋となります。
![年称橋(としねばし)](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
残念ながら、国道 218号線に平行に橋がかけられていて、全容が見えませんでした。
![年称橋(としねばし)](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
それは、国道から見ても同じです。
![年称橋(としねばし)](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
高くて四連式のアーチなので、よく見たいのですが、ベストスポットを見つけられませんでした。
![年称橋(としねばし)の説明板](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
場所 熊本県下益城郡美里町佐俣
小岩野橋
![小岩野橋](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
小岩野橋(こいわのばし)は、天保年間から嘉永年間にかけられています。
![小岩野橋](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
小岩野川には見える範囲に替わる橋がなく、現在も生活用の橋として使われているようです。
![小岩野橋](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
国道218 号線から国道443 号線へ入り、釈迦院川をさかのぼります。
![小岩野橋](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
少し山間に入り込んだところにあるため、静かな環境でゆっくり見物できます。
場所 熊本県下益城郡美里町岩野
馬門橋
![馬門橋(まかどばし)](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
馬門橋(まかどばし)は、1827 年にかけられた石橋です。
![馬門橋(まかどばし)](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
美里町の石橋の中でも、最も往時の趣を残しているといわれています。
![馬門橋(まかどばし)](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
めがね橋はふつう、中央が最も高く端に行くほど低くなっています。
![馬門橋(まかどばし)](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
馬門橋は逆に、中央が最も低く、端に行くほど高くなっています。
![馬門橋(まかどばし) 東側入り口](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
駐車場は、東側にも西側にもあります。
![馬門橋(まかどばし) 東側入り口](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
しかし、訪れた日は東側からは行くことができませんでした。
![馬門橋(まかどばし)の説明板](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
西側の駐車場が、おススメです。
場所 熊本県下益城郡美里町佐俣
大窪橋
![大窪橋(おおくぼばし)](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
大窪橋(おおくぼばし)は、1849年にかけられた橋です。
![大窪橋(おおくぼばし)](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
主に津留川の南側にある、大窪集落の人たちが往来していました。
![大窪橋(おおくぼばし)](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
平坦な農地にある橋で、アーチ部分が高く盛り上がっています。
![大窪橋(おおくぼばし) 「車通過から須」(くるまとおるべからず)](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
北側の石碑には「車通過から須」(くるまとおるべからず)とあります。
![大窪橋(おおくぼばし)](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
大窪の人たちが大事にしてきた石橋です。
![大窪橋(おおくぼばし)の説明板](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
霊台橋
霊台橋(れいだいきょう)は、1847 年にかけられた橋です。
![霊台橋(れいだいきょう)](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
単一アーチ橋としては日本最大といわれ、知名度も高い石橋となります。
![霊台橋(れいだいきょう)](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
緑川でも難関といわれた船津狭の木橋は、洪水のたび何度も流されてきました。
![霊台橋(れいだいきょう)と緑川の船津狭](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
洪水がおこっても流されない悲願の橋として、住民も加わって完成させたといわれています。
![霊台橋(れいだいきょう)](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
上流に鉄骨製の橋ができたのは 1966年(昭和41年)のことです。
![霊台橋(れいだいきょう)](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
それまでは、国道 218 号線の橋梁として使われていて、大型バスやトラックもこの石橋を通っていました。
![霊台橋(れいだいきょう)](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
山都町にある通潤橋とともに、国の需要文化財です。
![霊台橋(れいだいきょう)](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
霊台橋は通潤橋より 7 年早く完成しており、通潤橋をかける際は参考にされたといわれています。
![霊台橋周辺観光案内図](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
場所 熊本県下益城郡美里町清水
まとめ
石橋なんて、どれも同じだと思っていました。
![大窪橋](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
しかし、いくつか見て回るとそれぞれに個性があることがわかります。
![小岩野橋](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
そしてどの橋も、風景とあまりにも自然に調和しています。
![馬門橋](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
よく考えてみると、重機もない時代にかけられた橋が、100年以上経った今も残っているのは驚くべきことだと思いました。
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