御大師堂 弘法大師像は室町時代の秀作

大師堂は各地にあると思いますが、 この地区では「御大師堂」といえば湯前町の「おだいし」のことを指します。

同じ湯前町内や球磨郡内にも弘法大師像はあります。

しかし、地名や冠名をつけずに「御大師」といえばここを指します。

それは弘法大師像が、古く秀作で有名であるからにほかなりません。

御大師堂

この場所には江戸時代まで吉祥院というお寺がありました。

吉祥院は明治になり廃寺となり、御大師堂(おだいしどう)だけが残されました。

吉祥院には本堂のほか複数のお堂があり、御大師堂はそのひとつでした。

吉祥院という寺号は、久米の勘代寺に引き継がれています。

勘代寺も高野山真言宗であり、開祖は弘法大師(空海)となります。

お堂内の墨書より、1581年( 室町時代後期 )に建てられたものといわれています。

御大師堂は湯前町指定重要文化財となっています。

堂内文化財

御大師堂内には、弘法大師坐像のほか、平安末期の毘沙門天立像、四所明神像が安置されています。

御大師堂は日本遺産人吉球磨の構成文化財29番となります。

弘法大師像

弘法大師像は右手に五鈷をとり、左手に念珠をもつ典型的な像となります。

だだし、本像は造立年代も古く、秀作といわれているようです。

頭内銘により、1400年に大宰府の山井氏が、佛師祐全に造立させたことがわかります。

その後、当地へもたらされたといわれています。

弘法大師坐像は熊本県指定の重要文化財となります。

毘沙門天立像・四所明神像

毘沙門天立像は鎌倉時代の様式を持ち、もともと境内の持仏堂に安置されたいたものです。

神像は境内にあった四所明神にまつられていたものです。

四所明神は弘法大師の護法神として知られています。

これら神像も一括して 湯前町指定重要文化財となります。

湯前町戦没者忠魂碑

御大師堂の広場には、 湯前町戦没者忠魂碑が建てられています。

明治以降、出征し戦死した湯前町出身の方々の名前が記念されています。

お大師堂の庚申塔

御大師堂の広場の突き当りに、弓道場があります。

庚申塔はこの弓道場の中にあります。

場所 熊本県球磨郡湯前町下里2824