尾八重小学校 上椎葉ダム湖の学校

尾八重(おはえ)小学校は、かつて宮崎県東臼杵郡椎葉村下福良にあった、村立小学校です。

水没地

もともとは、もっと耳川沿いにあったようです。

上椎葉ダムが建設されたことで、水没地となり代替地へ移転しています。

水没地でよくあるのですが、住民は代替地へ移らない人もいます。

勤め先の近くとか、親族のいる都会とかに移り住むのです。

ですから、必ず集落は。水没前の規模より縮小します。

水没しなくても、過疎地ですから人は減ります。

しかし、ダムに水没すると、確実に人口減少は加速します。

利水の恩恵は、誰かの犠牲の上にあることを、再認識させられます。

遺構

校舎はすでに解体されていました。

新築移転が1954年(昭和29年)、廃校は1988年(昭和63年)です。

廃校時に、築34年経過しています。

既に老朽化し、再利用できなかたのでしょう。

この倉庫は、廃校後の建物のようです。

これは、宮崎地方気象台の雨量観測施設みたいです。

校庭はとても広いです。

バックネットの裏にも、倉庫みたいのものがあります。

こっちは、高感度地震観測施設と書いてあります。

学校の備品だと思いますが、何かわかりません。

何かの基礎と思われますが、手掛かりがありませんでした。

校庭の端に築山があると思って、行ってみました。

水たまりを補修したりするのに使う、水はけのよい砂を置いたものでした。

周年記念碑とか、廃校記念碑とかを期待していましたが、遺構らしい遺構はないようです。

では、入り口にあったこの建物は学校施設でしょうか?

「給餌室」、何かの飼育施設かと思いましたが・・・

となりの部屋は、「事務所」と表示してあります。

やはり、学校施設とは違うようです。

近くには、尾八重地区の集落センターと、体育館がありました。

バスも来てるようです。 と思ったら、時刻表には、週に1便のみです。

買い物とかどうするのでしょう?

集落の入り口の、上福良橋まで降りてきたら、またバス停があります。

待合所までありました。

こちらは、1日4便ありました。

沿革

1889年(明治22年)個人宅を仮校舎として創立
1890年(明治23年)桑弓野(くわゆみの)小学校の分教場となる
1891年(明治24年)尾八重尋常小学校として独立
1941年(昭和16年)尾八重国民学校へ改称
1947年(昭和22年)椎葉村立尾八重小学校へ改称
1954年(昭和29年)上椎葉ダム建設のため移転
1955年(昭和30年)旧校舎はダム湖に水没
1987年(昭和62年)休校
1988年(昭和63年)椎葉村立椎葉小学校へ編入、廃校

場所  宮崎県東臼杵郡椎葉村下福良

おまけ

1976年(昭和51年)の航空写真です。

こちらが現在のもの。

校庭は、後から広げたもののようです。

かなり、小規模な小学校だったのかもしれません。

3:48くらいからが、水没前の校舎だと思います。

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